野口整体的タオセラピー

目次

野口整体とは

私たちは、セラピーを始めた当初、「野口整体」に強く影響を受けました。その影響は今でも残っています。野口整体は、西洋医学的「治療」を目的としません。「体」を「整」える「整体」です。

野口整体にやって来る人の体は整っていません。ゆがんでいたり、偏りがあったり、固まっていたり、緊張していたり、冷えていたりします。そんな体を、野口整体の創始者で天才の野口晴哉氏が、独自のやり方で整えていきました。緊張、ゆがみ、偏りが整ってくると、体から好転反応や副作用が生じます。たとえば、風邪がそうです。野口氏は、『風邪の効用』を書きました。風邪には偏りのある体を整える効用があって、そうした効用を生じさせる(つまり、風邪をひくことのできる)体を、「健康」で「自然」だというのです。

私たちは、この健康観に強く影響を受けました。

流動する体

野口氏の考えは、「整体」がまずあって、その『傘下』あるいはその『中』に健康と病がある。健康と病気は、どちらも整体の一側面で、その2つにいいも悪いもない。体は、ある時は健康で、ある時は病気になる。その2つを、「陰陽」のように、行き来する体。「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる」体。体は固定的なものではなく、陰と陽の間を運動する「流動体」。

体によくないのは、病ではなく、固定である。

その考えが、野口整体の根底にあります。流動する体が自然で健康、ととらえるのです。

野口整体を受けると、体から好転反応がたくさん出ます。体が悪くなってしまった、こんなことなら受けなければよかった、と思うかもしれません。しかし、継続すると、だんだんと体が整い、強靭になってくる。「強靭」とは、「強くて粘りがあってしなやかなこと」を意味します。病、痛み、不快、違和を受け入れる、整った体になっていくということです。

ドリームボディ・ワーク

体を「流動体」とみる西洋生まれのセラピーが、アーノルド・ミンデルが創始したドリームボディ・ワークです。私たちは、野口整体になじんでいたおかげで、無理なくドリームボディ・ワークを身に着けていくことができたのです。

ご関心のある方は、富士見ユキオ著『痛みと身体の心理学』(新潮社)を参考にしてください。

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健康は病気を含む

私たちは「整体」を、“whole(全体)”ととらえています。

“whole” の語源は、ギリシャ語の holos(全体性)です。
whole(全体)、health(健康)、heal(治癒)、holy(聖なる)や、 heil(ドイツ語で「救済」の意味)はすべて、holosから派生しました。

「全体」は、「陽」や「光」のみを意味しません。「全体」は、陽や光と、陰や闇とからなります。心が全体になり、「整う」ためには、陰、闇、病気と共存し、「陽、光、健康」と「陰、闇、病気」との間を、柔軟に行きつ戻りつすることが、求められます。つまり、holos(全体性)から派生した health(健康)は、「病気を含んだ健康」という意味を持ちます。

IPPの心理療法(サイコセラピー、カウンセリング)やコーチングは、この「全体」の考えを念頭に置いています。「健康」と「病気」とは、その傘下にあるものです。

仏陀は、人間にとっての苦しみとして、「生老病死」をあげました。あなたが、誠実に生き、善良であっても、病を避けることはできません。私たちは、病を回避しながらも、必然である病、老い、死との共存、病気と健康の循環を受け入れ、肯定できる心の育成を支援しています。

それは、陰陽を内包した「タオ(Tao、全体性)」を敬い従うこと、共存を意味します。

IPPでは、あなたの全体性が取り戻されることが、癒しにつながると考えます。健康と病気、陰と陽、それらの循環的な運動の統合を目指すうえで、他者との関係、やりとりという視点は欠かせません。

全体性を取り戻すための取り組みとして、心理療法(サイコセラピー、カウンセリング)やコーチングは大変有用です。IPPのサポートをぜひ活用してください。

雨乞い師の物語

ここで、心理学者のユングが、宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムから聞いた、雨乞い師(rain maker)の物語を紹介します。

宣教師ヴィルヘルムの住んでいた地方でひどい旱魃(かんばつ)がありました。何か月もの間、雨は一滴も降らず、事態はひっぱくしてきました。

旱魃の悪霊を脅して追い払うために、カトリック教徒は聖歌を歌って行進し、プロテスタントは祈りを捧げ、中国人は神像の前で線香を焚き鉄砲を撃ち鳴らしました。しかし、事態はどうにもなりません。

中国人が言いました。雨乞い師を呼んでこよう、と。

そして、別の州から、干からびた老人がやって来ました。彼が要求した唯一のものは、とある場所に静かな小屋を用意することです。そこに彼は三日間籠ります。すると四日目には雲が雲を呼び、雪が降ることなど考えられない季節に、大変な吹雪となったのです。尋常ならざる大雪です。町はその不思議な雨乞い師の噂でもちきりです。

ヴィルヘルムはその男を訪ねて、いったいどういうふうにしたのか訊きました。

まったく西洋風にこう切り出しました。「みんなは、あなたを雨降らし(rain maker)と呼んでいます。どうやって雪を降らせたのか、教えていただけますか?」

すると、小柄な中国人は言いました。「私は雪を降らしたりしていない。私は(そのことに)責任はない(I am not responsible.)。」

「ではこの三日間、あなたは何をしておいででしたか」

「ああ、それなら説明できる。私は、ものごとが秩序の中におさまっているその土地から来た。だが、ここでは、ものごとが秩序からはずれていた。天の定めによるしかるべきあり方になっていなかった。つまり、この土地は全域、タオからはずれていた。私も、秩序の乱れた土地に来たために、ものごとの自然な秩序からはずれてしまった。だから、私は、自分がタオに戻るまで、三日間待たねばならなかった。すると、自ずと雨が降ってきた」。 

『ヴィジョン・セミナー1』

「天の定めによるしかるべきあり方」とは、「整った」あり方、「秩序」あるあり方です。
ユングは、雨乞い師について、次のように書いています。

「…心理学的に考えると、ものごとはそんなふう~「雨乞い師」の物語のよう~に展開し、それが自然なのだと確信するのではないでしょうか?

人が正しい態度をとれば、正しいことが起きる。が、人は正しさを作ることはできません。正しさが、ただそこにある。人は、ものごとは、そんなふうに起きると感じるのだと思います。

そのとき、人は、まるでものごとの内側にいるかのようです。人が正しいと感じるとき、ものごとは上向きに展開し、ものごとはフィットします。人が間違った態度をとるとき、人はものごとがフィットしない、周りでおかしなことが起きている、と感じます。

もし誰かが、自分の周りで間違ったことがしょっちゅう起こっている、と私に言ったなら、私は伝えます。『間違っているのはあなたです。あなたはタオの中にいません』。

あなたがタオの中にいるなら、あなたはものごとが、本来あるべきようにあ(な)る、と感じるでしょう。もちろん、時に人は暗闇の谷にいて、暗いものごとが起こり、暗いものごとがそこに属し、暗いものごとが生じるでしょう。しかし、それでもものごとは、タオの中にあるのです。」

『ヴィジョン・セミナー1』

タオの中に在る

ユングは、ものごとがフィットするときも、フィットしないときも、人が暗闇の谷にいるときも、それでもなお「タオ」の中にある(いる)と考えました。野口晴哉氏は、健康も病気も「整体」の傘下にあるととらえます。

「タオ」は「整体」であり、「陰陽の全体性」です。

「雨乞い師」物語の問題は、陰と陽の動きが止まり、ものごとが偏ったまま固定され、旱魃が続いていたことです。目指すべきは、晴れと雨との循環、動きの回復です。野口整体は、健康と病、陰と陽の両プロセスに着目し、東洋医学の「気・血・水」という3つの流れを支援します。

ユングは、流動の鍵を「態度」に見ています。聖歌を歌って行進する、現世利益的祈りを捧げる、神像の前で線香を焚き鉄砲を撃ち鳴らす、といった「テクニック」ではなく、「態度」に着目しています。雨乞い師は、「三日間待つ」ことを試みました。「タオに戻るまで待つ」態度を大切にしたのです。すると「陰極まって陽に転ずる」かのように、旱魃が極まって(雨でなく)大雪が降ったのです。

「タオ」「陰陽の全体性」については、こちらのセミナーや連続講座を参考にしてください。

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タオと応答するための態度

雨乞い師は、「私には責任はない」と言いながらも、文字通り何もしなかったのではありません。静かな小屋で、天(タオ)と応答したのです。そのとき大事にしたのが、「態度」です。

それは、晴と雨、旱魃と大雪、陰と陽の両方を傘下とする「整体」「全体性」「タオ」を敬う態度です。

静かな小屋に籠って雨乞い師が行ったのは、おそらく「瞑想」でしょう。ここは、ブラックボックスです。そこで雨乞い師が実際に何をしていたか、何もしていなかったかは、読者が、自由に「投影」し、多義的に熟考することができます。

あなたは、何をイメージしますか?
どう思いますか?

私たちは、何をして(いて)もよかったのではないか、と思います。
「整体、全体、タオ的態度」さえ外していなければ。

私たちは、天(タオ)と応答する態度にふさわしい瞑想として、「神秘主義的瞑想」や精神分析医、ウィルフレッド・ビオンのいう「O(オー)になること」を想起します。また、その瞑想の中での、ビオンやトーマス・オグデンの「夢見(dreaming)」を想像します。

ただし、ここで注意していただきたいのは、「神秘主義的瞑想」をうまくやったから、雨が降って来る、というわけではない点です。そこに、異なるたくさんの間接的原因、想定外の条件、偶然性からなる「縁」が介在します。

ここで「待つ」態度が大切で、待っていたら結果的に「タオの中に戻った」のです。整体でも、セラピーでも、体や心が整うのを、待つ態度が鍵となります。「時熟」~人と世界/宇宙との協創から、時の熟すること~への眼差しが欠かせません。

「神秘主義的瞑想」や「夢見」については、以下のセミナーや連続講座をご活用ください。

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因縁果(いんねんか)

トランスパーソナル心理学者で、臨床心理学者のラルフ・メツナーは、「人間は、世界&宇宙が私たちに提供するさまざまな可能性の母胎から生まれる未来についての多様なシナリオを、異なるたくさんの蓋然性と共に、常に協創(co-creating)している」と述べています。(注:「可能性」は、英語の “possibility” で、「蓋然性」は、“probability” です。「蓋然性」は、起こりそうなこと、ありそうなこと、見込み、確率を意味します)

メツナーの見解は、仏教の「因縁果」を想起させます。ものごとは、「原因」と「結果」からのみでなるのではなく、その2つの間に「縁」~異なるたくさんの間接的原因、想定外の条件、偶然性~ の加わった3つ(「原因」「縁」「結果」)から創造される、という考え方、見方です。

メツナーであれば、雨乞い師は、タオ(世界あるいは宇宙)と、雨を協創(co-creating)していたと考えるでしょう。雨乞い師は、「私には責任がない(I am not responsible.)」と述べていますが、そうでしょうか?「責任」と訳される英語の “responsible” は、“response(応答する)” + “ability(能力)” で、語源的には「応答能力」を意味します。雨乞い師は、タオとのコール(call)&レスポンス(response)を行い、それが雨を協創するうえで有益だったのではないでしょうか?

自然環境との呼応

雨乞い師は、自然環境に呼応するエコセラピスト(eco-therapist)です。
野口整体は、体という自然環境に応答するセラピーです。
深層心理学は、心の内的自然環境とコール&レスポンスします。

私たちは、雨乞い師、野口整体、ユングの深層心理学、A. ミンデルのドリームボディ・ワークに学び、心理療法(サイコセラピー、カウンセリング)やコーチングに臨んでいます。

「自然環境(エコ)」「エコサイコロジー」「心の全体性(タオ)」について詳しく学びたい方には、以下のセミナーや連続講座が大変有益です。