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空虚さ(void)の心理学~瞑想的、そして関係療法的に心の深奥に迫る~|2023/11/26(日)

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1)セラピーで多い訴えの1つに「空虚さ(void)」があります。

現代に生きる人は少なからず、無意味さや寂しさを感じていると思いますが、その背景にしばしばあるのが「空虚さ」です。「空虚さ」は、内的なものと考えられがちです。しかし、同時に経済的(資本主義的)なものでもあります。

2)資本主義は、空虚さを半永久的に産出することで生き続ける「自動機械」といえるでしょう。資本主義の特徴の1つは、不必要な消費活動を生むことです。

消費にはもちろん、生きていくうえで必要なものもありますが、必要のない「欲望」=「執着」を次々に産出します。欲望や執着に捕まると、今までなかった足りなさ、空虚感が新たに生まれます。消費活動を行うことで、その足りないもの、欠けているものを埋めて、空しさを何とかしよう、満たそうとします。

しかし、消費活動によって、精神/心理的渇望感や空しさが、真の意味で満たされることはありません。瞬間的充足はあっても、またすぐに欲しくなります。空虚感、飢餓感、渇望感が次々に湧き上がってきます。

この空虚感は、半永久的になくなりません。だから消費が新たに生まれ、資本主義は永続します。

3)トランスパーソナル・セラピストのラルフ・メツナー氏は、チベット密教の六道輪廻図における「餓鬼(がき)界」を、次のように説明しました。

餓鬼界を示す有名な絵図には、しばしば「餓鬼」と「酒の徳利」が登場します。多くの人は、餓鬼がアルコール依存だから、提供された酒(アルコール)を浴びるように飲む、と考えるそうです。

メツナー氏は、それに異論を唱えます。なぜなら、生きていくうえで必要以上の量の酒が、どこからともなく自動的に提供され続けるのが餓鬼界であり、その誘いに抗えない人間が、「餓鬼化=貧相化」していく、と考えるからです。

餓鬼は、どんなにアルコールを飲んでも「足る」を知りません。浴びるように飲み、いくらでも喰らいますが、満たされることはありません。どんなに飲んでも、喰っても、心の空っぽさ、飢餓感はまったく癒えないのです。それは、アルコール、摂食、買い物、セックスといった依存症者や共依存症者の姿そのものです。みな欲望に執着し、飢えることがなくなりません。

4)もっと飲みたい、もっと喰らいたい、もっと買いたい・・・。

飲んで、喰って、買っても、空虚は埋まらない。だから、もっともっと欲しい。

ここに、逃れることのできない悪循環のループが生まれます。それは次第に強化され、最後にガッチリと固定化されます。

5)依存症や共依存、複雑性トラウマ、各種パーソナリティ障害、解離、過剰適応の人、この世界から消えたいと妄想していたり、自死の思いに駆られている人が、終わりのない悪循環のループに捕えられているケースが、少なくありません。そこにハマったら最後、解放され、自由になるのは大変困難です。

その心理のあり様は、経済(資本主義)のあり様と、表裏一体関係にあります。私たちは、心理的にも、経済的にも、空虚になりやすい時代に生きています。

6)心理学的に「病理」とされてきた空虚を、心理学の新潮流である「関係療法」は、どうとらえているのでしょうか?

関係療法によると、一見、自分の『内部』にあると思える空虚は、実は『外部』にあります。ここでいう「外部」とは、『関係性』やD. W. ウィニコットのいう『環境』を指します。関係療法の見方では、人は、関係性や環境、すなわち「外部」の空虚を、心の「内部」の空虚と『勘違い』するのです。

7)心に空虚さを秘めている人の、真の苦悩は、実は「外的」関係性の貧困さ、不毛さ、空虚にあります。「外的」関係の希薄さや空しさが、「内的」空虚の母胎です。

8)そんな空虚に苦しむ人を支援しようと「意図」する善意のセラピストは、早晩、「意図せず」サポートにならない言動をするようになってしまいます。大変残念ですが、いったいなぜなのでしょうか?

セラピストは無意識のうちに、クライエントの希薄で虚しい従来の関係性や環境に乗っ取られてしまい、その一翼を担わされ、加担することになってしまうからです。

たとえば、クライエントの否定的で自己愛的な母親や、未成熟な父親とそっくりになっていたりします。クライエントにとって、そうした親たちとの関係は、まったく不毛で空虚です。逆転移、投影同一化、エナクトメントなどを通じて演ずるセラピスト側の負の役割は、(ほぼ確実に)サポートを必要としているクライエントとの間で、再演され、『固定化』され、『永続』することになります。

9)クライエントを支援するには、その「固定化」されたマイナスの関係や環境の『無化』=『空虚化』が、欠かせません。しかしこれは、容易ではありません。なぜなら、固定化されたその関係や環境は、クライエントだけでなく、セラピストにとっても意識化されない、「まったく無意識的」な場合が、ままあるからです。

無意識的な固定関係の刷新を後押しするのが、後に述べる禅的無化=空虚化です。それは、セラピストの演じている(乗っ取られている)自己愛的な母親役割や未成熟な父親役割を「破壊」し(てくれ)ます。

10)「破壊」は「創造」の機会を潜在させます。クライエントの「内的」空虚を永続させてきた否定的な固定的関係が破壊されると、「内的」空虚を、空虚のまま終わらせない肯定的な「外的」関係を創造する契機が生じます。これには、セラピスト側の死と再生、セラピスト側のパラダイムシフトが求められます。コンパッションの産出が必要とされます。

11)すると、セラピストとの間で新しい肯定的な「外的」関係や環境が創造されます。この「外的」関係や環境が、クライエントの心の「内面」に移され、育成されると、クライエントは、それまでとは異なる、「内的」空虚との良質な関係を持ち始めます。

この過程を基本からじっくり、ゆっくり見ていくのが、今回のセミナーの目的です。

12)「空虚(void)」は、スピリチュアルな諸伝統では、どう理解されてきたのでしょうか?

たとえば禅仏教は、空虚を「充満」や「充溢(じゅういつ) ~満ちあふれること~ 」と理解してきました。シャーマニズムや錬金術では、空虚は、深み(下方世界)への「糸口/窓口」となってきました。

どういうことでしょう?

(注:シャーマニズムでは、空虚は、「魂」を深みへ誘う『穴』に譬えられてきました。同じメタファーは、『不思議の国のアリス』などの物語にも見られます。セミナーでも触れます)

13)従来の「西洋」心理学にとって、空虚は、「欠落」「無意味」「方向性の喪失」「敗北」「病理」「闇」「絶望」「失望」でしかありませんでした。一方、禅仏教や老荘思想といった東洋哲学で、空虚は『肯定的』にとらえられてきたのです。

14)西洋心理学では、「自我や私」の空虚感は、治され、修復されるべき否定的なものです。一方、禅や老荘思想のようなスピリチュアリティにおいて、それは修復されるものではありません。そこでは、「空虚の側」をどうにかしようとするのではなく、「自我や私」の方こそ、「空」化、「無」化、「空虚」化されるべきものです。

15)空虚は、「それまで」の自我や私、主体性が空虚化され死んで、新たな主体性が生まれる充溢した源です。井筒俊彦氏によれば、そこはクリエイティビティ、癒し、潜在可能性の豊穣なところです。その充実したエネルギーと無化された私とが1つになって、空虚からクライエントの必要とする豊かで肯定的な関係を新たに切り出し創造しようとするのが、このセミナーのテーマです。

15)「空虚(void)」 は、多くの現代人の心を蝕み、人生を無意味にし、欠落感、敗北感、絶望/失望感を生みます。多くの人が空虚を嫌悪し、恐がり、不安がり、拒絶します。が、同時に、空虚は充足、充満、充溢、癒し、創造性、可能性の源泉です。シャーマニズムの教える通り、意識や現実の深みへの糸口でもあります。

16)セミナーでは、空虚を整理するところから始めます。空虚は1種類ではないからです。

・依存症や共依存、複雑性トラウマ、各種パーソナリティ障害、解離、過剰適応、アダルトチルドレンの背景にある空虚とは何か?

・それは経済的空虚か、あるいは心理/精神的空虚か?

・経済的空虚が満たされても、心や精神が空虚なままなのはなぜか?

・それは、関係性からくる空虚か、それとも実存的空虚か?

・スピリチュアル次元の空虚とは何か?

・なぜ禅や老荘は空虚を肯定するのか?

あなたと空虚について、多次元的ホリスティック的に取り組みます。

17)セミナーでは、良質な事例を参照し、空虚との具体的取り組みを身につけます。スピリチュアル次元の充溢した空虚に触れる、簡単な瞑想エクササイズを通した、体験的な学びもご用意しています。あなたのご参加をお待ちしています。

18)「空虚さ(void)の心理学 ~瞑想的、そして関係療法的に心の深奥に迫る~」にご関心のある
セラピスト、コーチ、コンサルタント、アドバイザー、ケースワーカー、ナース、医師、保健師、ボディワーカー、弁護士、教育関係者の方、ファミリービジネスの専門家の方、そして一般の方、初心者の方のご参加をお待ちしています。

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日時■ 2023年11月26日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子