に投稿

パーソナリティ障害の多様性と徹底理解 ~境界性パーソナリティ障害、自己愛パーソナリティ障害、そしてスキゾイド・パーソナリティとは何か?~|2017/10/28(土)&29(日)

◎ 2日間開催
◎ 配布資料+音声データをご購入いただけます

1)現代型うつ病、依存症、共依存、DV(家庭内暴力)などの中には、各種パーソナリティ障害が潜んでいることが少なくありません。

パーソナリティ障害に関する理解がないばかりに、カウンセリング、セラピー、コーチング、ファシリテーション、コンサルティングが行き詰まっていることが、しばしば見られます。

そうした課題を解決し、より良質な対人援助を行うために、今回、現代人に最も多い代表的パーソナリティ障害の3つに焦点を当て、その基本から最先端までを学びます。

その3つとは、境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、スキゾイド・パーソナリティ障害です。

今まで私たちは、境界性パーソナリティー障害と自己愛性パーソナリティ障害に関するセミナーを、繰り返し開催してきました。このセミナーでは、それに加え今回初めてスキゾイド・パーソナリティ障害について、基礎からていねいにお伝えしていきます(あなたは、スキゾイドないしはシゾイド、という言葉を聞いたことがありますか? セミナーで、ご一緒に学びましょう)。2日間をかけて、3つの代表的パーソナリティ障害について取り組みます。

2)パーソナリティ障害の「パーソナリティ(personality=人格)」や「パーソン(person=人)」は、ラテン語の”persona(ペルソナ、仮面)”を、語源としています。

仮面ですので、付け替えが可能です。仮面(ペルソナ)を取り換えることで、人格(パーソナリティ)や人(パーソン)のあり様に、質的変化が生じます。質的変化、つまり変容によって、パーソナリティ障害に癒しや回復が起こり得ます。

今から約30~40年前、日本の心理療法の世界では、パーソナリティ障害は、治らないものと理解され、負のレッテルが張られていました。パーソナリティ障害、と診断されることは、社会的スティグマ(烙印)を押されることでした。

が、今日パーソナリティ障害は、変化・変容が、十分に可能である、と理解されています。かつてと比べて、心理療法が進化し、洗練されたからです。その中核には、「ペルソナ」への眼差しがあります。今回、その点について、詳しくお伝えします。

3)では、ペルソナの交換を、どのように行えばいいのでしょうか?

今回、私たちは、関係療法や家族療法、ならびに発達心理学を参照します。また、ユングの「ペルソナ(外的世界・世間に対する人格)」論についても、再考します。1点注意していただきたいのは、ペルソナやパーソナリティは、基本的に、自我や主体に関わる心理的テーマである、というところです。

それは、無意識や夢やドリーミングといった深みにではなく、意識や自我や外的人格に、より関係しています。また、20年ほど前までのパーソナリティ障害の特徴として、マニピュレーション(manipulation=「自己中心・自己愛的」な操作性・ごまかし・小細工)が、際立っていました。

一方、現在のパーソナリティ障害では、以前とは変化し、その特徴は、自我やパーソナリティの未成熟さにあります。ですので、今日、パーソナリティ障害との取り組みには、未成熟な自我またはパーソナリティの成長プロセスを描いた発達心理学が欠かせないのです。さらに、愛着理論や神経生物学的脳研究、メンタライゼーションの基礎理解も必須です(その3つに関しては、セミナーでお伝えします)。

4)パーソナリティ障害水準のパーソナリティあるいは自我は、不安定です。パーソナリティ障害水準には、部分的に精神病水準が含まれ、また、部分的に神経症水準が、混在しています。そのため、不安定で、混沌としています。

しかし、その不安定さや混在性は、(実は)構造化・パターン化され、安定していて、簡単には、変化が生じない、ということが、かつて精神科医のオットー・カーンバーグによって示されました。パーソナリティ障害水準との取り組みには、精神病水準と神経症水準への眼差しと理解が欠かせません。このセミナーでは、パーソナリティ水準に加えて、精神病水準と神経症水準に関しても、わかりやすくお話します。

不安定な安定、を潜在させたパーソナリティ障害水準への関わりには、精神病ならびに神経症水準の理解が必須だからです。

5)カウンセラー、セラピスト、コーチ、ファシリテーターの中には、パーソナリティ障害水準について、よく知りたい、という人が少なくありません。それについて、学びたいと思ってきたのに、先延ばしをしてしまい、今まで、本格的に学ぶ機会がなかった、という対人援助職の人は、多いのではないでしょうか?

いまさら聞くことが・学ぶことが恥ずかしい、といった人も、いらっしゃるかと思います。

病態水準など知らなくても、傾聴や共感に徹したり、プロセスに従えば何とかなると教わり、そう信じてきたけれど、心のどこかでは、「いや、そうではない、やっぱり、プロ(予備軍)としては、パーソナリティ障害について、きちんと学習しておかないとよくない」、と思っていないでしょうか?

今書いたうちのどれかが、あなたにフィット・該当するとしても、それは、あなたが悪かったからではなく、パーソナリティ障害水準の全貌について学ぶ機会がなかった、どこで教わればいいか知らなかった、という場合が、少なくないと考えます。そんなあなたに、このセミナーはいい機会となることでしょう。

6)最後に、パーソナリティ障害水準について理解を深めるために、神経症水準との比較から、少し考えてみましょう。それに当たって、心の内的世界および対人関係(より正確には、対象関係)のあり方について、述べます。

神経症水準以上のレベルまで心が発達している場合、心の内的世界、そして対象関係を、「全体」的にとらえることができます。

一方、心の成長がパーソナリティ障害水準で止まっている時には、心を「部分」的にしか捉えることができません。部分的にしかとらえることができない段階で、心の成長が停止した場合の典型的な問題は、部分を、全体と<勘違い>してしまう点です。

ユングやクラインは、心は本来、白と黒、昼と夜、陽と陰のような「全体」からできていると考えましたが、パーソナリティ障害水準では、白のみ、または黒だけを、つまり「部分」を「全体」と<誤解>してしまいます。自分の内的世界は真っ白で光り輝いていて、自分の対人関係も、汚れた・邪(よこし)まなところのない、裏切らない純粋な人だけによって作られている、と信じて疑いません。黒い世界は、自分の外にあり、それは自分とは無関係と思い込んでいます。他の人の事情を考えずに、そんなふうにスッパッと・キッパリと切り分けています。

7)パーソナリティ障害において、心の内界や対人関係が、なぜ、白と黒のように全くの別世界として切り分けられるかというと、そこにスプリッティング(splitting、分割&相互排除)という防衛機制が働くためです(注:なぜ、スプリッティングが防衛機制なのか、セミナーで、詳しくお伝えします)。

問題は、自分(の内界や対人関係)は白と思っていたのに、突然、それが、黒に反転してしまうことが、少なくないことです。スプリッティングは解消されていないのに・いないからこそ、白から黒、黒から白、そしてまた白から黒、といった反転が生じます。

結果、そこに、一貫性(恒常性、持続可能性)ができず、自信、自尊心、自己効力感、自己達成感、自己の連続性を持つことができません。

トーマス・オグデンは、スプリッティングが特徴であるパーソナリティ障害の心を指して、「歴史なき、または歴史(人生史)を作ることができない」と述べました。


8)一方、白だけでなく、黒をも心の内面に収める力を身につけた神経症水準以上においては、心は「全体」的であり、そのため、白から黒、黒から白、白から黒といった動きに揺さぶられ、不安定になることはありません。自我(エゴ・アイデンティティ)には一貫性ができ、恒常性のある自分に信頼(=自信)、自尊心、自己効力感を持つことができます。自分の人生に、積み上げてきた歴史感覚を抱くことが可能になります。

9)今回取り上げる3つのパーソナリティ障害には、それぞれ大きな違いがありますが、心の内界と対人関係世界にスプリッティングがあるところが共通点です。それらは、神経症水準とは、質的に異なります。

* * * * *

日時■ 2017年10月28日(土)& 29日(日)10:00~17:00

会場■ 都内(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子