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組織・家族・集団の中で豊かに生き抜くために 〜集団療法の新たな展開『深層の耳で聴く』とは?〜|2023/8/27(日)

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1)今月は、集団精神分析家レオナルド・ホーウィッツの「第4の耳で聴く」を参照し、セミナーを行います。

私たちがこれまで紹介してきた、新フロイト派トーマス・オグデンの関係療法は、あいだの主体である「第3主体」に着目し、「第3の耳で聴く」ものでした。

それに対して今回は、「第4の耳(深層の耳)」を取り上げます。あなたはプロの「精妙な耳で聞く」傾聴の技を身につけることができるでしょう。また、自分の内面や身体の小さな声、声なき声を聴きとれるようになるでしょう。

2)オグデンによる第3の耳で聴く技は、セラピーに画期的変革をもたらしました。ホーウィッツは、それをしのぐ、さらに精妙な深層の耳で聴く技を提唱しています。これは、個人セラピーや関係療法に、集団における間主観性やフィールド(場)の観点を加えたものです。

3)「第3の耳」と「深層の耳」には、どのような違いがあるのでしょうか?

「深層の耳」は、集団における間主観性やフィールドの声に耳を傾けることです。
どういうことでしょうか?

4)「集団」セラピーには、大別して2つの立場があります。

1つめは「システム論」で、これは集団を「外」から客観的、行動科学的に分析し、働きかけるものです。多くの家族療法、組織療法、そして集団療法が、このアプローチを採用しています。

2つめは「間主観論」で、集団を「内」からとらえる切り口です。セラピストもクライエントと同じフィールド(場)の中に入っていることを前提とするこの立場は、「量子論的」です。後者のアプローチには、現象学、エスノメソドロジー、解釈学などがあります。

「深層の耳で聴く」集団療法は、2つめの見方に基づくものです。

5)かつて日本で主流だったセラピーは、「集団」を度外視する「個人」セラピーでした。現在は、システム論、間主観論、フィールド理論の影響によって、セラピストの多くが、集団を意識するようになっています。

6)トランスパーソナル心理学は、「発達論」の立場から、
(a)自我確立以前の段階を「プレパーソナル(pre-personal)」
(b)自我確立段階を「パーソナル(personal)」
(c)自我確立以後の段階を「トランスパーソナル(trans-personal)」
と区分けします。

しかし、集団セラピーには、(a)(b)(c)の3つの区分が、導入されることはありませんでした。

7)(a)と(b)との切り分けは、1部のセラピストによってなされました。たとえば、精神分析のウィルフレッド・ビオンは、自我確立以前のグループを3種類挙げ、3つを「精神病的集団」と考えました。また自我確立段階のグループを「作業集団(working group)」と呼び、健康な集団ととらえました。しかし、(c)の自我確立後のトランスパーソナルな集団は、想定されていません。
(注:ビオンの精神病的集団については、セミナーでご説明します)

8)一方、共依存関係(co-dependency)はプレパーソナルであり、ロナルド・フェアバーンの「成熟依存関係(mature-dependency)」はパーソナル、仏教の「相互依存関係(inter-dependency)」はトランスパーソナルに当たります。
セミナーでご一緒に考えましょう。

9)さて、日本で集団の観点を活かそうとする場合、次の2つの点について、常に考慮し理解する必要があります。

1つは「世間」という集団です。
もう1つは「社会」という集団です。

世間は、「母と子ども」の2者関係がベースにある、プレパーソナルなローカル(local)集団です。それは閉じた「村社会」で、マイナスに作用すると息苦しい組織となり、村八分、いじめ、パワハラが横行したりします。

一方、社会は、母子の閉じた2者関係に「父」が介在した、3者関係からなるパーソナルでグローバル(世界に開かれた)集団です。

10)江戸時代に生きた福沢諭吉は、英語の “society” を、「社会」と訳すことができませんでした。当時の日本に「社会」がなかったからです。福沢は、そのため “society” を「人間交際」などと訳しました。日本に暮らす多くの人にとって、「社会」は今でも実感の伴わない抽象的なものとして、経験されているのではないでしょうか?

11)世間学を確立した社会学者の阿部謹也氏は、日本で暮らす人々の生活世界は「社会」ではなく、『世間』である、と喝破しました。阿部氏によると、「社会」は「個人」からなるものです。一方、「世間」に「個人」はいません。

夏目漱石は、ロンドンへの留学中に、西欧社会になじめず心を病むことになりました。その一因は、当時の日本に「(西洋的)個人」がいなかったため、初めて接した個人からなる西洋社会との文化摩擦に苦しんだからでした(夏目漱石著『私の個人主義』参照)。

12)世間には西洋的個人は存在しません。いや、全くいないのではなく、個人感覚の希薄な人間がいます。また、世間と家族との境界は脆弱で、世間と家族は浸透し合っています。個人、家族、世間に一応の区切りはありますが、混じり合い、どこからどこまでが自分の考え方で、どこからが家族のあるいは世間の思惑か、わからなくなったりします。そんな中で、人は「世間体」「ピア・プレッシャー(同調圧力)」や「空気」に脅かされながら、生きています。

13)世間や世間体は、家族にだけ、まとわりついているのではありません。

企業、部活、女の子グループ、ママ友、学会、NGOやNPO、教育機関、保守系およびリベラル系団体にもはびこっています。たとえば企業、NPO、保守系およびリベラル系団体で、上司は、「君、これ何とかうまくやってくれ」と、上意下達の同調圧力を使って、部下が空気を読み、忖度するように強要します。

「うまくやってくれ」と言われるだけで、具体的指示はありません。
世間は、「逃げられない」閉じた集団であるため、従順になる以外ありません。

14)そんな世間は、「ローカル(local)」集団ですが、日本にのみ存在するわけではありません。阿部氏によると、ヨーロッパにも中世の頃まで、存在していたといいます。

カルロス・カスタネダの著作に登場する、ヤキ族先住民族のシャーマンであるドンファンは、ローカルなしきたりに埋没する部族の民たちに辛辣な見解を抱きました。彼は、ヤキ族の世間の外に出ることを重視したのです。

15)夏目漱石は、個人を確立し、社会で生きることは「寂しい」と述べています。それは、世間の「外」に出ることだからです。にもかかわらず、「個人」を貴重なものと考えました。

対象関係論は、「寂しさ」や「悲哀」を『健康なもの』ととらえます。寂しさや悲哀は、「自我確立」に必ず伴う情緒だからです。

16)「甘え」をベースにする集団 ~たとえば世間~ では、「あうんの呼吸」「空気を読むこと」「忖度」が、適切となります。「寂しさ」や「悲哀」は、「辛(から)く」、「苦(にが)く」、「不適切」に思えます。

一方、自我や主体性を土台とする集団では、寂しさや悲哀は、「必須」で「健全」です。

17)私たちは、「必ず」集団に属します。セラピーにおいては、クライエントの心の悩みが、「個人がなく、あるいは希薄で、家族と浸透しあう」『世間』に埋没していることに関連しているのか、または、『社会』に属していて心の苦痛 ~たとえば寂しさや悲哀~ に耐えられずにいるのか、「見える化」することが、大変重要です。

18)セラピスト、コーチ、コンサルタントはまた、自分が「世間」あるいは「社会」の、どちらのコンテキスト(枠組み)からクライエントを支援しているのか、その都度、意識化する必要があります。この点を見誤ると、あるいは無自覚だと、トンチンカンな支援をすることになります。

集団への自覚は、集団療法にはありますが、個人療法には欠落しています。個人療法家にも、ぜひ身につけていただきたい視座です。

19)さて「深層の耳で聴く」とは、クライエントの心理的課題の背景に潜む集団の場の声、ノイズ、音、ミュージック、うめき、叫びに繊細になること、そして「見える化」することで、クライエントを真に、ホリスティックに支援することです。

その声、ノイズ、音、ミュージック、うめき、叫びを聴くホーウィッツの「深層の耳」は、神秘主義者の「微細な内的耳」に該当するでしょう。それはまた、M.エンデ著の『モモ』が、夜空に星の音楽を聴く精妙な耳です。さらに、不可思議、神秘、非合理性、宇宙を聴き入る耳でもあります。

セミナーでは、神秘主義第1人者の井筒俊彦氏の見解や、『モモ』の物語、またチリ出身の精神分析者イグナチオ・マッテ-ブランコなどを参照し、内的耳と深層の耳との関係について検討します。そして神秘主義者の耳、トランスパーソナルな耳が、現代人の困難な心理的課題と取り組むうえで、大変有益であることを、具体的事例(ケース)から考えていきます。

20)最後に、ゲシュタルト・セラピーの創始者フリッツ・パールズによる詩を載せます。

「私は私のことをして、あなたはあなたのことをします。
私はあなたの『期待』に添うために、ここにいるのではありません。
あなたも、私の『期待』をかなえるために、ここにいるのではありません。
あなたはあなた、私は私です。
ご縁があって、あなたと私とが出会えたなら、それは素敵なこと。
でもそうでなければ、それはそれで仕方のないことです」

21)ここには、阿部氏や漱石の「個人」について、詩的に述べられています。あなたは人の「期待」に応じ、人があなたの「期待」に添うのを当然と考え、そのためにお互いに個人(自分)を消す。こうした関係や集団が『世間』です。

人の期待にこたえるのではなく、また人が自分の期待をかなえるのでもない、と考え、「私は私のことを、あなたはあなたのことするために、ここにいる」『個人』からなる集団が『社会』です。

22)が、この「個人」にも限界があります。「個人」を自覚したうえで、自分が集団(関係)の網の目の一側面であったことをベースに暮らしを見直すのが、仏教の相互依存(縁起)であり、トランスパーソナルな集団の視座です。そこには、安心、温かさ、満ちたりた感覚、豊かさがあるでしょう。

23)セミナーでは、こうした点を踏まえて「深層の耳で聴く」について取り組みます。内容は、集団療法はもちろん、コミュニティ心理学、家族療法、ファミリービジネス・コンサルティング、病院臨床、スクールカウンセリング、個人セラピー、夫婦・カップルセラピー、コーチングに有益です。

集団療法、家族療法、個人セラピーといった多様なセラピーのケースから、「深層の耳で聴く」精妙な力を身につけます。

24)今回「深層の耳で聴く」ことにご関心のあるセラピスト、コーチ、コンサルタント、アドバイザー、ケースワーカー、ナース、医師、保健師、ボディワーカー、弁護士、教育関係者の方、一般の方、初心者の方のご参加をお待ちしています。

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日時■ 2023年8月27日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子