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セルフ・コンパッション ~ 他者と自分を抱きしめる『やさしさ』の方向性~|2023/2/26(日)

◎ オンライン開催
◎ 配布資料+音声データをご購入いただけます

1)「私たちのタスクは、生きとし生けるものと自然のすべてを抱きしめる(embrace)コンパッションの輪を広げ、私たち自身を解放し自由にすることです」(アルバート・アインシュタイン)。

「愛 (love)は人が幸せになるように思う心、慈悲(copmassion)は人の苦しみがなくなるように思う心です」(ダライ・ラマ)。

2)以前「幸せ」や「健康」を意味する “ウェルビーイング(well-being)” について、セミナーで取り扱いました。幸せやウェルビーイングが「愛」に基づくものだとすると、今回は「苦しみがなくなるように思う」、“コンパッション(compassion)” についてのセミナーです。

3)「慈悲」と訳されてきたコンパッション。語源から考えると、“com(一緒に)+ passion(苦痛、情熱)” です。それは「一緒に苦しむこと」であり、「一緒に情熱を持つこと」です。

アーノルド・ミンデルは、“compass(コンパス、羅針盤)+ sion(接尾辞)” と読み直しています。

仏教学者の中村元氏は、「慈悲の『慈』は私たちに楽を与え、『悲』は私たちの苦を抜く」と説明します。

コンパッションにはすなわち、
(a)「慈悲」
(b)「苦しんでいる人に思いを寄せて共に苦しむこと」
(c)「人と一緒に情熱を持つこと」
(d)「人生の羅針盤」
といった意味があります。

このセミナーでは、コンパッションの以上4つの側面に着目します。

4)私たちは「他人にやさしくしなさい」と親や先生に言われてきました。しかし「自分にやさしくしなさい」とは、教わりませんでした。自分にやさしくすることは「自己憐憫」「自己中心的」などと、誤解されてきたのではないでしょうか?

自分にやさしくなることは、「感傷的になること」「自分の恨みつらみに耽溺すること」「自分に甘くなること」とは異なります。

5)ここで質問です。他人にやさしく自分にもやさしい人を、あなたはどう思いますか? そんな人を、イメージできますか? そうした人と友人、同僚、パートナーになりたいと思いませんか?

6)他人にも、自分にもやさしい親の子どもは、どんなふうに育つでしょう? 親を真似て、子どもも、他人にも自分にもやさしくなるのではないでしょうか?

セルフ・コンパッション(Self -Compassion、自分にやさしくすること)は、苦しみを減らすために、他人と自分にやさしくなるためのツールです。心理学者ジョーダン・クアグリアによると、「コンパッションは他人を助けることと自分を助けることとを、別なことにしません。コンパッションは、その2つを一緒にやり遂げます」。

7)セルフ・コンパッションは、自分に厳しい人に、特にお勧めです。セラピーやコーチングをしていると、他人にはやさしく接するのに、自分にやたらと厳しい人にたびたび出会います。自分への厳格さは度を超えていて、それは精神的な「自傷行為」「自己破壊行為」といったものです。

自分にやっていることを、他人にしたなら「パワハラ」で訴えられかねないくらい、自分を叩いていたりします。誰も居ない、見ていない心の暗闇 / 密室で、 隠れて自分を過度に批判したり、罵倒したり、挫(くじ)いたりしています。

8)そんな自分をやさしく受け止めて、自分の苦悩に共感したり、自分で自分の味方になって、自分を内面から応援したりするのが、セルフ・コンパッションです。これは、自分の心に巣食う未熟で過酷な超自我に向けた慈悲のアプローチです。

それには心を耕し、育むことが求められます。

(注:過酷な超自我は、幼く未成熟です。一方、良質な超自我は、大人で成熟しています)

9)セルフ・コンパッションは、私たちの内面に『複数』の私が存在していることを、前提とします。

たとえば、
「徹底的に自己批判する過酷な超自我」
「自己批判されて挫かれ、消えてしまいたくなっている私」
「誰にも見てもらえず、存在さえ気づかれない遺棄された私」
「恥や劣等感にまみれた私」
「失敗を隠している私」
「コンパッションを持っていろいろな私を抱きしめる(embrace)私」
などです。

この中の、「コンパッションを持っていろいろな私を抱きしめる私」の『不在』な人が、少なくありません。だから、自分にやさしくなれません。

そんな人の心に、「コンパッションを携えいろいろな私を抱きしめる私」を育成するのが、セミナーの目的です。これがかなうと、「自分の心に情熱(passion)」が自ずと沸き上がり、「内的コンパス(inner-compass、羅針盤)」を身に着けることができます。人生に、方向性が生まれます。

10)セルフ・コンパッションについて知らないと、他人に無制限にやさしくなって、「共感疲労」に陥ったりしかねません。他人へのコンパッションは行うのに、自分へのコンパッションについて知らないためです。

一方、セルフ・コンパッションを身に着けると、コンパッションをベースとした「良質な境界線」を、他人との間に引くことができるようになります。あなたは燃え尽きず、圧倒されずに、安心して他人をサポートできるようになります。

ですので、セルフ・コンパッションは、対人援助を行っている人に、ぜひ身に着けていただきたい。

11)セルフ・コンパッションは、心の内面に「コンテイナー(container、抱きしめる私)」と「コンテインド(contained、抱きしめられる私)」とからなる良質で豊かな関係を生むアプローチです。

精神科医の神田橋條治氏は、コンパッションは動物に備わった生得的なもので、その発展形態がケアやコンテイニングである、といったことを述べています。猫や犬は、自分と同じ種が傷ついているのを見ると、近づいて傷をなめてやったりして、世話をするといいます。

12)コンパッションがとても必要なのに、セルフ・コンパッションが生まれにくい典型的なテーマが、いくつかあります。

たとえば、「自己批判者」「甘えたい自分」「恥をかいた自分」「劣等感まみれの自分」「ほったらかしになっている自分」「期待がかなわなかったことでの幻滅」「失敗を隠している私」などです。

そうしたテーマについて、どうすればいいのでしょうか?

そうしたテーマへのセルフ・コンパッションのアプローチを、身に着けませんか?

習慣化されたセルフ・コンパッションは、あなたの繁栄に寄与する一生の宝物となるでしょう。

13)セルフ・コンパッションには、マインドフル(mindful)なまなざしが必須です。

マインドフル型瞑想をアメリカ人に教えてきた禅僧の鈴木俊隆老師は、「マインドフル型瞑想に雑念はありません。なぜなら、マインドフル型瞑想には、集中すべきものも、区別すべきものも、前提条件もないからです」といいます。

集中は、あるものを別のものと区別して、あるものにフォーカスすることで可能になります。集中型瞑想では、心が集中するものから離れて、さ迷い、気づいたら心がフォーカスしていた別の何かを「雑念」と呼びます。

一方、マインドフル型には、集中すべきものが元来ありません。心に沸き上がってきたことを、ただ、あるがまま・そのまま観察するものです。そこには、雑念と雑念でないものの「区別」がありません。瞑想のための「前提条件」がありません。

そのため、マインドフル瞑想は、「無条件型瞑想」とも呼ばれます。無条件型瞑想を行っていると、心が四方八方に広がって、心(mind)でいっぱい(full)になります。「制限」が無いからそこらじゅうマインドだらけです。いっぱいの心(full of mind)が、” mindful(マインドフル)” です。

14)無条件型瞑想を習慣的に行っていると、「無条件のセルフ・コンパッション」「自分への無条件の愛」が育まれます。それは、「自己批判者」「甘えたい自分」「恥や劣等感まみれの自分」「ほったらかしになっている自分」「失敗を隠している私」へのセルフ・コンパッションを可能にします。

15)マインドフル型瞑想は、分け隔てのないアウェアネス(気づき、自覚)を育てることを目指すものでもあります。ミンデルは、アウェアネスは、あらゆる事象のコンテイナーである、と述べています。

16)神田橋氏は、傷を負っている仲間を見ると、猫や犬は、仲間を思わず助けてしまう、と述べます。

野口整体創始者の野口晴哉氏によると、親は子どもが痛みを感じている体の部分に、ふと、思わず手をのばし触れて、なでることをします。それが「手当て」の原点だといいます。

私たちには、苦痛を感じている人を見ると、その苦痛に触れたりなでたりして減じたい、という思いが、備わっているのではないでしょうか?

最新の脳科学は、そのことを「ミラーニューロン(鏡的神経細胞)」との関連で説明しています。

私たちが内面における傷ついた自分(contained)をマインドフルに見つめていると、セルフ・コンパッション(container)の思いが、沸き上がってくるでしょう。

17)それには、マインドフルなまなざしが欠かせません。

一方、マインドフルのないまなざしは、「自己批判者」「甘えたい自分」「恥や劣等感まみれの私」「失敗を隠している私」を、あるがまま見ることができません。代わりに目を閉じて見ないようにしていたりします。そこに『言葉にできないくらい過度な』不安や恐怖があるからです。

が、眼を閉じているときに何も見ていないのではなく、実は「妄想」~たとえば、実際の人物よりもはるかに恐ろしいモンスターのような批判者~ を見ています。その妄想に、怯え、不安、恐怖を覚え『自動反応』を起こしていたりします。

このとき、妄想、脊髄反射、自動反応を、素面になって見通すのが、マインドフルな眼力です。ここでセルフ・コンパッションが、求められます。

18)セルフ・コンパッションを繰り返していると、心に「内的静けさ / 内的穏やかさ(inner calm)」が生まれます。すると “solitude(一人で居ること、孤独)” を楽しめるようになります。一人で居ることは、“loneliness(一人ぼっち、孤立)” とは異なります。

solitudeの語源は、ソロ・キャンプの “solo” です。

関係療法のD.W.ウィニコットは、「一人で居ることの能力」を高く評価しました。一人で居ることを良質な形で / 豊かに楽しむためには、セルフ・コンパッションを心の内面に育むことが求められます。

19)セルフ・コンパッションは、ダライ・ラマのいった「苦しみがなくなるように思う慈悲」に加えて、「幸せになるように思う愛」を、自分の内に育てます。

それは、アインシュタインの述べたように、私たちに解放と自由をもたらすでしょう。

20)セルフ・コンパッションについて学ぶことで、あなたを導く「内なるコンパス(羅針盤)と方向性」を見い出しませんか?

内から沸き上がるパッション(情熱)に導かれるセルフ・コンパッションを身に着けませんか?

21)今回「セルフ・コンパッション~ 他者と自分を抱きしめる『やさしさ』の方向性~」にご関心のあるセラピスト、コーチ、ビジネスコンサルタント、ケースワーカー、医師やナースなど医療関係者、教育関係者、一般の方、初心者の方のセミナーへのご参加をお待ちしています。

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日時■ 2023年2月26日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子