に投稿

リレーショナル瞑想 ~刺激と反応の間の脊髄反射(解離)を マインドフルに解析するまなざし~|2022/11/27(日)

◎ オンライン開催
◎ 配布資料+音声データをご購入いただけます

1)今月のセミナーは、セラピーの中で取り扱いが最も難しい「解離」を、リレーショナル(関係)瞑想的に取り扱います。

解離のある部分に対し、私たちは「無思考」になって「脊髄反射(自動反応)」を起こします。なぜなら、解離のあるところでは「刺激」と「反応」とが〈分離〉されておらず、〈一緒くた〉になっているためです。

2)そのため、クライエントの人は解離を、「行き詰まり」として感じたりします。その行き詰まりはセラピストにも体験されるため、セラピーでは、打破(ブレークスルー)やエッジワーク(障壁との取り組み)が試されます。

しかし、それは機能しません。なぜでしょうか。

3)解離の行き詰まりや、一緒くたになったところは、まず「刺激」と「反応」とに分けることから、始める必要があるからです。それには、ブレークスルーではなく、脊髄反射の微細な分析、解析が求められます。このセミナーでは、刺激と反応の間の脊髄反射(解離)をマインドフルに解析するまなざしを磨きます。それは、セラピストとクライエントのふたりの関係からなるリレーショナル瞑想によって可能になります。

4)子どもの頃、ひざのすぐ下を軽く叩いて「刺激」すると、自分の意志とは関係なしに足の上がる「反応」に、驚いたのを覚えています。あなたは、脚気の検査に利用された、この脊髄反射で、遊んだことがありますか?

「刺激(stimulus)-反応(response)」に着目し、心理学を自然科学にしたのがジョン・B・ワトソンです。ワトソンの行動主義心理学は、心理学の世界を一変させました。それは、人間の心を、意志や意識からではなく、機械や動物と同様、刺激に対する反応からとらえます。

4)一方、人間の心を、刺激と反応とは違う別の働きからみていく心理学があります。

たとえば、精神分析や人間性心理学が、その代表です。人間性/実存心理学者のヴィクトール・フランクルは、刺激と反応の「間」に『空間』がある、と述べました。そして「間の空間」に、主体的選択や意志を差し込むことができると考えました。フランクルにとって、“response”は「脊髄反射」「自動反応」ではなく、選択や意志の伴った「主体的応答」です。

5)フランクルの考えを継承している1人が、『7つの習慣』の著者スティーブン・コヴィー博士です。彼は、人には自由選択や意志が可能なのに、それを活用しないのは、自分の「パラダイム(認知の参照枠)」に無自覚(盲目)だからだと考えました。コヴィーによると、「人は世界をあるがまま見ているのではなく、自分のパラダイムに沿ってあるがまま見ている」気になっているのです。

が、それは錯覚です。

6)人が最もハマりやすいパラダイムは、背景に「錯覚(illusion)」のあるものです。

なぜでしょうか?

錯覚には、現実よりも「生々しいリアリティ」や「手触り感」が、伴うからです。だから錯覚を、「より確かで本当のこと」と勘違いします。錯覚は、人を簡単にマインド・コントロール(洗脳)に陥れ、「自分は世界をあるがまま見ている」と思い込ませます。

7)セラピー場面で「錯覚」を最初に取り上げたのが、精神分析家ドナルド・ウィニコットです。錯覚は「妄想」とも「現実」とも違うものであり、同時に「妄想」と「現実」の両方から成るものです。妄想なのですが、現実的基盤があるものです。

8)たとえば、スヌーピーの漫画『ピーナッツ』に登場するライナスの青い毛布が、錯覚に当たります。幼児にとって、毛布はフワフワで、ママのおっぱいの感触や匂いがする(気にさせる)ものです。だから、手放せません。ライナスの毛布は、毛布という「現実のもの」と、ママのおっぱいを「妄想」させるフワフワ感やなじみの匂いとが合わさったものです。

9)お砂場で砂だんごを作って遊ぶときの子どもは、「現実」の砂やおだんごに、美味しい食べもの、あるいは大切な宝物といった「妄想(イメージ)」を重ねて見ながら、リアリティや臨場感を経験しています。子どもにとっての砂だんごは、しばしば本物の団子よりも、生き生きとして、濃密で、手触り感のあるものです。だから没頭して、夢中になって遊びます。

10)「妄想」は、「変性意識」の一種です。それは、意識の「集中/没頭」によって生じる認知のゆがみから、作られます。「妄想」に、「現実」での受け皿~たとえば毛布や砂~が伴うと、「錯覚」が生じて、そこに「確からしさ」や「本当らしさ」が体験されます。

11)だから、「錯覚」には「妄想」と違う、本当っぽいリアリティがあります。単なる(味気ない)「現実」と異なり、色合い、風味、濃厚さがあるのです。人はそれに魅了され、コロッと騙されがちです。

12)プロセスワークのドリームボディ(dreambody)は、ドリーム(夢)という「妄想イメージ」と、ボディ(身体、物体)”という「現実」とからなる生々しい錯覚です。ドリームボディ・ワークでは、その「錯覚」から「脱錯覚(dis-illusion)」あるいは「脱同一化」することを試みます。

13)脱錯覚の伝統的なやり方が、メディテーション(瞑想)です。それは、「世界と自分をあるがまま見る」ためのツールです。メディテーションは、刺激と反応とを分け、その「間」に着目しますが、フランクルやコヴィーとは異なる戦略をとります。

14)たとえば、誰かが、あなたにぶつかったとしましょう。するとあなたは、瞬間湯沸かし器のように頭に血が上り、切れて相手に文句を言うかもしれません。あるいは瞬間的に恐怖を覚え、萎縮するかもしれません。

しかし、見知らぬ相手にぶつかられたことが、あなたに、子どもの頃わざとぶつかったり、暴力をふるってきた兄を、無意識裡に想起させたことは、まだ解離され、わからないかもしれません。

15)解離され、わからないでいると、「ぶつかられたこと」と、「(兄を想起させる)相手に文句を言うこと」「萎縮すること」が一緒くたなり、あなたは脊髄反射を起こすでしょう。それに対してコヴィーは、「ぶつかられたこと」と、「相手に文句をいうこと」「萎縮すること」の「間」に『空間』を作って、自動反応をしないことを勧めます。

代わりに自由意志に基づく「応答」を奨励するのです。それは、人生を受動的、被害的に生きるのではなく、主体的、創造的に生きるためです。

16)ところで、小乗仏教のビパサナーや大乗仏教の禅では、「ぶつかられたこと」と、「相手に文句をいうこと」「萎縮すること」の「間」にではなく、(ぶつかられたことの『次』に生じる)「ショック(驚き)」や「痛み」と、「相手に文句をいうこと」の「間」に『空間』を観ます。

17)ショックや痛みは、あなたが妄想なしに感知した、あるがままの身体経験です。それは、「自分」の身体感覚です。身体感覚に着目すると、『他者』にではなく、『自分』に意識の向く可能性が生まれます。すると、ショックや痛みと、その次に続く反応とを、自分で(自分事として)引き受ける余地ができます。

18)ビパサナーや身体にフォーカスした禅の瞑想では、「ショック」や「痛み」と、その後に出てくる「相手に文句をいう」「「萎縮する」という行動や想いとの間にスペースを作るようにします。身体に初めて生じた(驚きや痛みの)感覚を「刺激」と、それに続く行動や想いを「反応」と、とらえるためです。

19)驚きや痛み(刺激)と、文句をいうこと(反応)とを分けて、その間の空間を観察します。この刺激と反応とを、自分の中のこと(私事)ととらえ、ぶつかった相手に脊髄反射して文句を言うことを抑制します。それは、フランクルやコヴィーよりも、微細で洗練された戦略です。

20)フランクルやコヴィーのアプローチには、「強い能動的自我主体」が求められます。一方、ビパサナーや禅的メディテーションには、「柔らかい微細な気づき(awareness)」が必要です。驚きや痛み(刺激)と、その後に続く、相手に文句をいうこと(反応)は、1秒にも満たない高速度で生じます。それを、あたかも超高性能の顕微鏡を通して、スローモーションのようなプロセスとして観ること、それが「柔らかい繊細に気づき」に基づく「観察瞑想」です。

21)この「観察」こそが、今回のセミナーで取り扱う、「マインドフルに解析するまなざし」です。ではどうすれば、私たちは超高性能の顕微鏡を用いることができるのか?
そのことで、なぜ高速のプロセスがスローモーションになるのか?

この2点についても、セミナーで取り上げます。

22)観察瞑想とは、ビパサナーやチベット密教のゾクチェン(大いなる完全性)、神秘主義者ゲオルギイ・グルジェフやジッドゥ・クリシュナムルティのメディテーションを指します。意外なことに、フロイトの自由連想も観察瞑想の一種です。

23)観察瞑想は、外的そして内的プロセスを、あるがままに観るものです。一方、日本で伝統的に多く採用されたのは、観察瞑想とは真逆の、ろうそくの炎、マンダラ、真言、声明、印といったものにフォーカスする「集中/没頭瞑想」です。集中瞑想は、容易に「変性意識」を作ります。

それに対して観察瞑想や自由連想では、集中/没頭や変性意識を禁じ、事象やプロセスを素面(しらふ)の意識で、そのまま見続けます。いま流行りのマインドフルネス瞑想は、禅のメディテーションを参照したもので、観察瞑想と集中瞑想の「中間型」あるいは「統合型」です。

24)このセミナーでは、仏教のアビダルマも参照します。

アビダルマ(阿毘達磨)は、まず、誰かがあなたにぶつかったこと、次に、身体的驚きや痛みが生じたこと、三番目に、過去の兄の暴力イメージが生じたこと、というように、高速で連鎖していく「知覚の各段階」に関して伝えます。

また、知覚の段階に沿って「主体(私)のあり方」が高速で「変化」する様子について教えます。

このことが把握できると、刺激(驚きや痛み)と反応(文句をいうこと)の間に、ミクロの次元における空間を観ることができるようになります。

25)それは、セラピーにおける「解離」「行き詰まり」に対する有益な取り組みを可能にします。微細空間での、あなたの微細なまなざし、解析、自由意志、選択、能動性、創造性を発揮できるようになります。微細でありながら、同時に大変パワフルで、あなたの対人援助の仕事に大きな影響を及ぼすでしょう。

いわば「バタフライ・エフェクト(蝶の効果)」をもたらします。

26)今回のセミナーでは、観察瞑想に着目します。ビパサナー、グルジェフ、禅などのメディテーションやフロイトの自由連想、ウィルフレッド・ビオンの「理解しないこと(not-knowing)」を参照します。それは、脱錯覚、脱同一化、目覚めを促します。サイコシンセシスのトランスパーソナル次元での微細な意志の活用を可能にします。フランクルやコヴィーの「間の空間」を、微細なレベルで創造します。

27)瞑想は、自分1人で行うものです。

しかし、自分1人ではどうしても辿れないのが「解離=行き詰まり」や「スプリッティング」「not-me」などです。それらは、各種依存症、共依存、DV、重篤なパーソナリティ障害の真ん中にあります。それらには、自分1人でではなく、セラピストとクライエントが協働して行う「間主観で瞑想的な」セラピーが欠かせません。

これは、アビダルマの知恵を、関係療法で使う試みといえるでしょう。

28)今まで、解離の取り組みが、いま一つ理解しにくかった人にとってもお勧めです。微細なレベルからわかりやすくご説明します。

29)微細な間の空間へのまなざしは、従来の関係療法、トランスパーソナル・セラピー、プロセスワーク、マインドフルネス認知療法、弁証法的行動療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピー、サイコドラマ、集団療法、コーチングを、より洗練させます。微細な空間についてのまなざしや解析は、あなたの感性を豊かにし、対人援助職はもちろん、日々の暮らしを充実したものにします。

30)今回、「リレーショナル瞑想 ~刺激と反応の間の脊髄反射(解離)を マインドフルに解析するまなざし~」について、具体的的取り組みにご関心のあるセラピスト、コーチ、コンサルタント、ケースワーカー、医師、ナースなど医療関係者、教育関係者、一般の方、初心者の方のセミナーへのご参加をお待ちしています。

* * * * *

日時■ 2022年11月27日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子