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“高機能” で巧妙な『世間』に蹂躙されないための心理学 ~自分をまっすぐ生きることをくじくシステムを見抜く〜|2025/03/30(日)

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1)あなたは「世間体(せけんてい)」を気にしたり、「世間に後ろ指をさされない」ようにしたり、「世間を騒がせてはいけない」と思ったりしたことはありますか?

世間の空気に威圧され、居づらさを感じたり、空気を読まない、読めないことで苦しんだりしたことはないでしょうか?

日本に暮らす多くの人が、かつて世間に苦しみ、そして”今も”世間に生きにくさ、息苦しさ、辛さを感じています。世間は、過去の遺物ではなく、現在でも、また中高年者だけでなく若者や子どもたちの間でもはびこり、私たちを悩ませます。たとえばSNS上などでは、より洗練され、高機能で巧妙になっています。その世間に蹂躙(じゅうりん)されている人は、少なくありません。

2)心理相談の背後には、「世間」の潜在していることが、実によくあります。高機能の世間について知らなければ、ひも解けない悩み、症状、問題がたくさんあります。

今回、世間について、世間学、社会学、民俗学、心理学などの知見を参照し、理解を深めていきます。

セラピー、カウンセリング、コーチングへの適用を試み、ご一緒に学びます。

セラピーやコーチングは、欧米で生まれたものですが、世間について知ることで、それらがしっくり感、フィット感のある、より身近なものになるでしょう。

3)「世間」は、私たちが暮らす身近な生活空間です。私たちは「社会」ではなく、実は世間に生きています。

社会は、日本中どこに行っても同じ文脈からなります。それは、明文化された法的ルールによって規定されていて、どこでもたとえば交通ルールや選挙ルールに違いはありません。

それに対して世間は、法的・社会的ルールの《外》にあります。そこは一種の治外法権の場で、各世間ごとに異なる「暗黙の文脈」が存在します。それは、外部・部外者にはわかりにくい、しきたり、伝統、風習、因習、言い伝え・・・などからなります。それらは明確でないため、いつ世間の暗黙ルールを破ってしまうかハッキリせず、内心怯えて、不安になっている人が少なくありません。
世間は、多くの人にとって、心理的に「危険」な場所、です。

4)そもそも世間とは、どういったものでしょうか?

ほぼあらゆるグループに、特有の世間が存在します。たとえば同窓会、ママ友、女子会、部活、会社組織、PTA組織、(オンライン)サロン、不良グループ、教授会、学会、同じマンションの住人どうし、などです。

5)グループは別でも、そこに潜在する「深層構造」は、全く同じです。深層構造は、ユングの「グレートマザー」、土居健郎の「甘えの構造」、山本七平の「空気」、中根千絵の「タテ社会」そして「家父長制」や、「マイルドヤンキー」マインドなどからなります。

あなたはグレートマザー、家父長制、タテ社会的な構造を想像できるでしょうか。「まぁまぁ」「いやいや」といった空気を読むことを暗黙裡に強要する、甘やかしと甘えからなる世間を、イメージできますか?

6)たとえば「世間」とは質の違う「社会」では、グレートマザー性は機能しません。法的ルール ~それは心理的には父性性を意味します~ が、社会では目を光らせているからです。社会では、私たちは、法の下に平等です。それに対して世間は不平等で、賄賂、抜け駆け、ズルなどが、横行しています。

7)魚が自分の住む水を意識することがないように、人間は自分の周囲の「空気」を意識することはまずできません。世間は、その中にどっぷりとハマっている空気や水のようなものです。それは、確実に存在しますが、見ることはできません。その中・内側にいる限りは・・・。

8)多くの人が、世間と社会とを「混同」しています。

私たちは「世間を騒がせた」とはいいますが、「社会を騒がせた」とはいいません。
「世間に後ろ指をさされる」とはいっても「社会に後ろ指をさされる」とはいわない。
「世間体(せけんてい)」とはいっても「社会体」を気にする、とはいいません。

9)江戸末期に福沢諭吉は “society” を「社会」と訳せませんでした。代わりに「人間交際」などと訳しました。なぜなら当時の日本に、『社会はなかった』からです!

10)著名な社会学者で世間学を提唱した阿部謹也氏によると、社会は「バラバラの個人」からなります。個人は、世間のしがらみ、縁、人間関係を断ち切ったり、反故(ほご)にしたりするところから生まれます。そのバラバラの個人の関係からできるのが、社会です。

一方、もし世間の中にバラバラの個人がいたとしたら、その人は「村八分」にされた、ボッチだ、と誤解されて憐(あわ)れまれることでしょう。

(注:世間には「心理学的個人」は、いません。どういうことか、セミナーで考えましょう)

11)夏目漱石の講演録に『私の個人主義』があります。そこには、漱石の経験した個人と世間人との違いや葛藤が、見事に描かれています。現代でも、大変有意義な内容です。その講演録で最も胸に迫るのが、個人になることに伴う「淋しさ」についての記述です。

12)個人になることを回避し、心理的成長を止めている状態を、精神分析では「(隠れ)自己愛性」や「境界性」パーソナリティ障害ととらえます。顕示型自己愛性パーソナリティ障害は、実際の自分より「大きく」見せようとするナルシシズムです。

一方、隠れ型自己愛性は、実際の自分より「小さく」見せる、世間への過剰適応からなります。実際の自分・個性を見せると、世間の同調圧力に抗うことになって、辱め(制裁)を受ける危険があるため、その防衛のために、真の自分の姿を「隠し」、ないがしろにせざるを得ないのです。だから辛く、生きにくい。それは、自己卑下、自己矮小化の苦しみです。

13)(隠れ)自己愛性と境界性の2つのパーソナリティ障害からの回復と癒しには、世間からの離脱が必要です。離脱時に「必ず」浮上するのが、世間に対する『裏切者』感です。それは、パーソナリティ障害につきものの「見捨てられ不安や抑うつ」「淋しさ」そして「罪悪感」を喚起します。

14)私たちは、「自分軸」を作って「個人」になることを目指す人に、選択的に「裏切り者」に、さらには「表切り者」になる支援を、心を込めて、コンシャス(conscious)に、行っています。それが、その人の「身の丈」「等身大」「平常心」「その人らしさ」の支援になるからです。その人本来の可能性、美しさ、すばらしさ、能力をサポートするためです。

それには、見捨てれられ不安や抑うつ、また罪悪感と「まっすぐに・正面から」向き合い、取り組む必要があります。

15)このプロセスが的確に進むと、漱石の指摘した「淋しさ」が待っています。それは静寂で、神聖な淋しさです。その淋しさを、対象関係論の創始者メラニー・クラインは「抑うつポジション」と呼び、成熟した大人の健全な心として、大事にしました。

16)セミナーでは、なぜあなたが世間で生きづらいのか、息苦しいのか、自分を必要以上に「小さく」しなければならないのか、について学びます。どうして、気づくと自分をないがしろにし、同調圧力に従って過剰適応してしまうのか、世間との関係から考えます。高機能で、あなたを蹂躙する世間との適切なかかわりや距離感について、取り組みます。

17)それには、漱石が講演録で述べた「自分本位」、また「自分軸」「主体性」「オーナーシップ(当事者意識)」を身につけることです。世間はいまも、より洗練され巧妙になっています。そこに心理的危険がいっぱいであることをしっかりと認識し、安全、安心、信頼について、熟考しましょう。

たくさんの人にとって、多大な影響力を持つ世間に、「微細・精妙な光」を当て、見える化するところから始めましょう。あなた「らしさ」「等身大」「個性」「身の丈」「平常心」「自分軸」をサポートするセミナーでもあります。

20)今回「“高機能” で巧妙な『世間』に蹂躙されないための心理学 ~自分をまっすぐ生きることをくじくシステムを見抜く~」について学びます。

セラピスト、コーチ、ボディワーカー、ケースワーカー、コンサルタント、医師、看護師、その他の医療関係者、弁護士、税理士、教師、ファミリービジネスの専門家に、お勧めの内容です。このテーマにご関心のある一般の方、初心者の方のご参加も大歓迎です。

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日時■ 2025年3月30日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申し込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子