精神分析のシャンドール・フェレンツィやアンナ・フロイトは、「加害者 / 攻撃者への同一化」について述べています。加害や攻撃をを受けたトラウマの被害者は、知らぬ間に、加害者 / 攻撃者になっている(=同一化している)、というのです。親から被害をこうむった子どもが、その親と瓜二つの加害 / 攻撃行為を、きょうだいや友だちやペットに加えている。「加害者-被害者」の世代間連鎖が起きてしまう。
トラウマのへの同一化は、被害者が、自分で自分を守る能力を超えた生存の危機、苦痛、不安、恐怖、屈辱の場面や出来事に遭遇した際に、用いる無意識的防衛法です。加害者の「(病的)強さ」に同化することで、自分(=被害者)の「弱さ」を隠蔽(いんぺい)する防衛です。被害者のこうむった生存の危機、苦痛、不安、恐怖、屈辱がちゃんと取り扱われて、心から安全安心を感じない限り、自分を支援してくれる人との間に信頼関係が築かれない限り、危機、苦痛、不安、恐怖、屈辱は何とかなる、という確かさや自己効力を感じない限り、加害者への同一化の止むことは、困難です。「(病的)強さ」を誇示するしかありません。
加害者への同一化は、健康な心から切り離され(=解離され)て「孤立化」し、病的になった心の側面です。この側面は、あなたの意識が及ばない / 届かない「解離」されたところから、あなたが加害者に同一化して、他者に攻撃や破壊行為をするように、あなたに迫ります。あなたは、加害行為をしている時、心ここにあらずの状態に陥ります。あなたは、その瞬間、加害者 / 攻撃者 / 破壊者に、心を乗っ取られ、同化させられてしまうのです。
ジグムント・フロイトや対象関係論のメラニー・クラインは、人間には生得的な死の本能があり、それが、内なる加害 / 攻撃 / 破壊性の源泉である、と述べます。トラウマの被害者は、「外的」な攻撃者からだけでなく、自分の心の「内的」な死の衝動=「内的」な加害者 / 攻撃者 / 破壊者からの被害者、ととらえるのです。
《精神病》水準の苦しみは、「世界崩壊 / 破滅」不安などからもたらされますが、「破壊」が関係しているトラウマは、あなたの心を、部分的にでも「精神病」的にしている危険があります。ですので、心理セラピーだけでなく、精神医学のサポートの必要になるケースが少なくありません。トラウマには、精神病的なものが潜んでいるかもしれない、という仮説を持つことが大切です。でないと、トラウマが慢性化して、何年も、場合によっては何十年も苦しむことになりかねません。
内なる加害者 / 攻撃者 / 破壊者に心を奪われ、それと同化したことに身の覚えのあるトラウマの被害者は、精神科医との連携を大切にするIPPのセラピーを、ご活用下さい。なぜなら、癒えていない「解離」された内なる(精神病的)加害者 / 攻撃者 / 破壊者は、あなたの健康な心、考え、気持ちをあざ笑うかのような恐ろしい加害行為を、他者や社会に向かって「(繰り返し)しでかす / やらかす」危険を持っているからです。あなたの健康な心、考え、気持ち、理性は、解離された内なる加害者を、コントロールできないためです。
内的な加害者 / 攻撃者 / 破壊者は、「孤立化」しています。セラピーでは、心のその側面を、もうこれ以上独りボッチにしない、またその側面とつながりを築く。それが、セラピーの最初の課題となります。が、内的な破壊者には、トラウマや孤立化の痛み、苦しみ、悲しみ、屈辱感がいっぱい押し込まれていますので、セラピーの基本である安心安全に基礎づけられた信頼関係を構築すること自体難しい。
内的な加害者 / 攻撃者 / 破壊者は、長い間独りボッチでいたため、他者が助けてくれるとは考えていません。自分独りで何とかしなければならない、他人は頼
りにならない、信用できない、という(確信に満ちた)万能 / 全能的妄想、認知のゆがみを、身にまとっています。
セラピストは、クライエントの加害者に「潜む」苦痛、不安、恐怖、屈辱、悲しみに、チューニング(調律)するようにします。内的加害者 / 攻撃者 / 破壊者が信用していない「関係性」を意識し、関係性に心を開くようにします。
「慈悲」と訳される “compassion”(コンパッション)は、“com”(一緒に)+ “passion”(苦痛)です。それは、クライエントの心の痛みを、セラピストが心で我が事のようにして、一緒に苦悩すること(共苦)です。セラピストは、コンパッションをもって、クライエントの加害者に潜む苦痛、不安、恐怖、屈辱、悲しみに、チューニングしていきます。
すると、心から「阿弥陀(あみだ)」や「キリスト」が浮上し、クライエントの内なる加害者に「救済」をもたらしてくれるかもしれません。親鸞とキリストは、悪人(=加害者 / 攻撃者 / 破壊者)に対して、同じ考えを抱いています。両方とも「悪人だからこそ」救済される、と説きます。キリストは、言います。「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と(マタイ9:9-13)。親鸞(しんらん)は、「善人でさえ救済されるのだから、悪人はより一層救済される」と述べます。
クライエントの内なる加害者を救済するのは、セラピストではありません。セラピスト-クライエント関係から浮上する内なる救済者です。
私たちは、浄土真宗やキリスト教の信者ではありません。しかし、心の内なる阿弥陀やキリストによる救済(=内なる救済者)、および仏教のコンパッションは、内なる加害者とのセラピーにおいて、大切な視座であると考えます。
あなたに、IPPのセラピーを通じて、トラウマと「内なる加害者 / 攻撃者 / 破壊者」について取り組んでいただきたい、と考えます。