魂のセラピー

なぜ、私たちに、生きにくさがあるのでしょうか?
どうして、心の深いところで、充足感を得ることができないのでしょう?

あなたは最近、魂が躍(おど)るような経験をしましたか?
「忙しい」は「心」+「亡」ですが、あなたは「心や魂」を亡くしていませんか?

私たちは、生きにくさ、充足感の欠落、生活の退屈さは、「魂の喪失(soul loss)」や「魂の遺棄(soul neglect)」と関係していると考えます。

「魂のセラピー(Soul Therapy)」は、魂を回復し、また魂に注意や尊敬の念を向け、日々の生活が少しでも魂で満たされるように、支援するものです。

魂のセラピーは、「癒し」や「修理」を目指すものではありません。「治療」でもありません。そうではなく、魂を基礎とした「ライフスタイル」「生活の姿勢」「生き方」に関わることです。セラピーの世界では、マインドフルという言葉がはやっており、「スピリチュアリティ(精神性/霊性)」について、述べられる機会が増えています。が、その陰でネグレクト(遺棄)され、ひっそりと佇(たたず)んでいるのが「ソウル(魂)」です。

あなたは、魂(soul)に、関心がありますか?
ソウルフル(soulfull)な生活や営みに、興味がありますか?

私たちは、魂のセラピーを考えるうえで、Thomas Moore(トマス・ムーア)博士に、多くを負っています。

“psychotherapy(サイコセラピー)” は、「心理療法」と訳されます。それを語源的に紐解くと、“psycho(魂、心、蝶)” + “therapy(世話、面倒見、付き添い、注意、対応)”となります。その意味は、「魂の世話/面倒見」、「魂の付き添い」「心に注意を払うこと」「青虫が蝶になるように対応すること」です。セラピーには、語源的/伝統的には、「治療」「癒し」「修理」といった意味では、ありませんでした。

たとえば、古代ギリシャから考えてみましょう。哲学者ソクラテスは、弟子からセラピーについて質問されると、「馬の『世話/面倒見』をするようなもの。馬にや水を与え、小屋を清潔に保ち、運動をさせる。そうしたことが、『セラピー』である」と答えています。psychotherapy(サイコセラピー)は、“care of the soul(ケア・オブ・ザ・ソウル、魂の世話)” だったのです。

IPPでは、「魂の世話」や生活に魂を取り戻す支援としてのサイコセラピーを、提供しています。

精神分析の開祖、S.フロイトは、人間のコントロールできない無意識について説明する際に、暴れ馬や馬力をたびたび例にあげましたが、その馬や馬力の世話、付き添い、注意が、魂のセラピーです。

魂は、コントロールできない、また合理的/明確に定義できない「X」です。「火の玉」のような、特定可能の実体/物体ではありません。

元型的心理学の開祖J.ヒルマンは、「スピリチュアリティ(精神/霊性)」と「ソウル(魂)」とを区別しています。スピリチュアリティは、山の頂(いただき)にあります。一方、ソウルは、山の谷にあります。「谷の人」は、「俗(人+谷)」です。魂は、スピリチュアリティのように高貴なものでも、特別なものでもなく、日々の営み(everyday life)あるいは、ありふれた世俗の中に存在します。

英国の詩人ジョン・キーツは、「この世界を、魂創造(soul-making)の谷と呼ぼう」と述べています。キーツにとって、世界や日々の生活は、魂をネグレクト(遺棄)することのない「ソウル・メイキング(soul-making)」のための「谷」(=場所)だったのです。(注、ソウル・メイキングについては、セラピーの場で、わかりやすくお伝えします)

魂のセラピーは、大地志向で、地に足をつけることを支援します。一方、スピリチュアリティは、山頂志向で、物事を高みから鳥瞰図/俯瞰的に、また遠くまで、長期志向で見渡します。魂は、大地の上を進む蟻の目で、些末なこと、ちょっとしたことに着目し、大切にします。魂は、重く、夕暮れ時、陰影を、一方、スピリチュアリティは、軽やかで、昼、太陽、明白さを好みます。

魂の世話としてのセラピーは、世俗的で変哲もない毎日の生活を、ソウルフル(soulfull、魂でいっぱい)にすることを、目的とします。魂に包まれた魂的ライフスタイルを志向します。それには、日々の出来事を、心を込めて、ていねいに、大切に行うことです。「心を込めること」「ていねいさ」「注意深さ」は、魂を誘う、また、魂の実在を感じ取ったり、味わったりする糸口となります。

いま「マインドフル(mindfull、マインドでいっぱい)」が、着目されています。私たちは、「ソウルフル」を推奨します。人生に、「ソウル」「ブルース」「ジャズ」「ロック」「シャンソン」「ファド」「パンソリ」「ボサノバ」「ファンク」「民族音楽」「クラシック」・・・を、取り入れることを意識的に行いませんか?

魂は、音楽だけでなく、料理、手紙、掃除、子育て、家族、パートナーシップ、友人関係、ガーデニング・・・といった普段の営みの中に、現れます。

あなたは、「魂のこもった/魂の入った」手料理、手紙、掃除、子育て、家族、パートナーシップ、友人関係、ガーデニングを、イメージしたり、想起したり、感じ取ったり、できますか?

それは、ごく普通のことですが、あなたの日々の暮らしを(少し)豊かで、幸せで、厚みのあるもの、満足のいくものにするでしょう。

魂にフィットする言葉は、「厚み」「下降」「深み」です。山頂ではなく「谷底」に、潜みます。魂の世話は、一見、禅仏教の営みに似ていますが、禅と違って「厚み、下り、深み」」を大切にします。また、青虫が蛹になって蝶になるような「質的変化=変態・変容」を重んじます。

たとえば、“depression(うつ)” は、語源的には “de(下に向かって)+ “press(プレスすること、圧力をかけること)” です。それは、心が下降するように、上から圧力をかけられた状態です。深層心理学では、うつは「死」の象徴に、また死は「うつ」の前兆と、とらえられたりします。精神医学的には、うつは、自死が伴いやすく、注意が必要とされます。

にもかかわらず、魂のセラピーでは、魂が下降し、心の深みに赴くように、支援します。

ギリシャ神話には、うつを通じて、魂が、下降世界または地下世界へ行く旅について、描かれています。プラトン著『パイドン』では、疲弊した魂は、肉体が死んだあと、ハデス(地下世界)に戻って休息しながら、エネルギーを十分に回復する。そしてヴァイタリティの充実した魂が、新たな肉体に再誕生する、と述べてあります。プラトンやソクラテスによると、「哲学」とは、生きているうちにする、そうした「死の練習」です。

魂のセラピーでは、うつを患うクライエントと、うつ状態を検証しながら、また必要に応じて担当医と相談しながら、魂の下降欲求や、心の内的なハデス(地下世界)に行って休息し、エネルギーを回復したい渇望、また、それまでと違った生まれ直したかのようなライフスタイルを望み想い描いていないかどうか、などについて、じっくりと丁寧に話し合います。

社会的、経済的に成功していても、魂をないがしろにしたり、魂を失っていることで、心に不全感が絶えず、アルコール、薬物、恋愛(不倫)、ゲーム、買い物、摂食によって、心を何とかごまかそうとしても、どうにもならず、うつになったりして、苦悩している人は、少なくありません。

「忙しい」は、「心や魂」を「亡くした」状態です。忙しい現代人は、魂を喪失しています。

IPPでは、あなたの魂の回復を、意図します。そのために、あなたの話にていねいに耳を傾け、魂が「渇望」していることに着目します。「あなた」ではなく、「あなたの《魂》」の欲求や願望に気持ちを添わせます。あなたの魂の表出サインや、その方向性を、見極めるようにします。

クライエントに、苦悩や痛みがあれば、それらを医療のように取り除くことも、通常の心理療法のように癒えるようにすることもしれません。そうではなく、苦悩や痛みの深みに入って、そこから紡がれる魂の本音、叫び、物語に耳を傾けます。そこに魂の望むライフスタイルや方向性を見出すことを試みます。また、そのライフスタイルや方向性が、日々の暮らしの中で、尊重され、(場合によっては)実現されるように支援します。その結果として、当初の苦悩や痛みが消失することがあります。

魂は、私やあなたが理解することも、コントロールすることもできない「X」です。それとの関係には、英国詩人ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ(陰/負の能力)」、W.ビオンの「非知(not-knowing)」、ソクラテスの「無知の知」といった姿勢が求められます。

ネガティブ・ケイパビリティとは、「理解できないことで沸き上がる欲求不満やイライラ状態、不全感や宙吊り状態に心を開いたまま、耐える能力」です。

不可思議さ、ミステリーに関心を寄せることも、大切です。”wonderful(ワンダフル)” は、”full of wonder(不思議さでいっぱい)”ですが、魂でいっぱいのライフスタイルは、不可思議さ、ミステリーの絶えない生活です。

セラピストがネガティブ・ケイパビリティやワンダフルの姿勢でいると、クライエントの魂が、顔をのぞかせ始めます。その姿を明かし始めます。

魂は、私たちのエッセンス(中核)です。あなたの個性や独自性は、あなたに内在する、またはあなたを取り巻く魂と関係しています。魂とのつき合いは、あなたが(C.G.ユングの)「個性化の道」を行くのを支援します。

魂の世話を試みるセラピストは、「職人(artisan)」に譬(たと)えられるでしょう。職人は、「真心や魂」を込めて、仕事に真摯(しんし)に向かいます。彼/彼女は、作品や創作物(making)に、「心や魂」の入ることを、意図して仕事を進めます。”artisan”の”art”は、「技術と芸術=技芸」ですが、artを職人技にまで高め、魂を込めて、また魂を志向して、セラピーを行うのが、魂のセラピストです。

IPPでは、職人的な魂のセラピーを提供しています。

あなたは、魂のセラピー(Soul Therapy)や、魂の世話(Care of the Soul)に、関心がありますか?

参考文献:Thomas Moore “Soul Therapy”, “Care of the Soul”