世間、個人、インターパーソナルな関係

「社会」は英語で “society” ですが、江戸時代、福沢諭吉は、societyを、「社会」と訳せませんでした。理由は、societyに該当する言葉が、江戸時代にはなかったからです。そのため、福沢は「交際」や「人間交際」と訳していました。「社会」は西洋的よそゆきの言葉で、日本語としては、今でもしっくりときません。「社会」は、私たちにとって、手触り感がありません。日本には、「社会」がないからです。

そう説くのは、世間学の阿部謹也氏や野口直樹氏たちです。日本には、社会ではなく、『世間』があります。阿部氏や野口氏によると、社会は、「バラバラの個人」からなります。が、世間は、そうではありません。

福沢諭吉は、societyを「社会」と訳せませんでした。また社会の構成員である “individual” も、「個人」と訳すことができませんでした。江戸時代には、individualに該当する言葉も、概念もなかったためです。

社会には「個人」がいなければなりません。そして、その個人は、『バラバラ』である必要があります。社会とバラバラの個人とは『一対の言葉』ですが、その一対は、世間を破壊します。

私たちは、「世間体(せけんてい)が悪い」という言い方をしますが、「社会体(しゃかいてい)が悪い」とはいいません。世間と社会とは、異なります。

心理セラピーに来る人は、「世間」という文脈(コンテキスト)の中で、苦悩している人が多数です。しかし、そのことに気づいている人は、ほとんどいません。世間という文脈の中にいるあなたは、他人が、周りが、みんながどうしているのか、どう振る舞っているのか、をキョロキョロしながら、注意深く確認しまたは盗み見し、みんなから逸脱(いつだつ)しないように、合わせ/真似(まね)なければなりません。仲間外れにならない、されないためです。

あなたの注意は、常に(自分の)「外」へ「外」へと流出し、「他人軸」で生きることが、子どものころから習慣化されます。世間は、幼稚園のお砂場にも、小学校のお友だちグループにも、中高の部活にも、ご近所にも、ママ友グループにも、会社にも、カルチャーセンターにも、高齢者施設にも・・・「生涯」にわたって、「どこにでも」あります。というより世間しかない、といいたくなるくらい世間がはびこっています。

他人軸でなく、「自分軸」で生きることを、欲している人がいます。
注意を自分の「内」に向け、熟考することを、望んでいる人がいます。

その人が、IPPの心理面接室のドアをノックします。

自分軸で生きるには、「個人」が『バラバラ』になることを、受け入れいれなければなりません。それは、世間での関係が「切れる」「壊されること」を意味します。

自分軸で生きるとは、選択の際に、「私」はどうしたいのかを、私の内側で『熟考』しなければなりません。世間では、あなたは、周りが、みんながどうしているのか、どう振る舞っているのか見て、みんなから逸脱しないように、『合わせ/真似』なければなりませんでした。それは、あなたが世間に『脊髄反射/自動反応』することを意味します。あなたは、熟考ではなく、『考えることなし』に、周りに『瞬時に』合わせることを、期待または強要されます。

西洋的個人は、心理学的には「病的」です。なぜなら、他人からバラバラで生きていける人は、いないからです。ですので、「バラバラな個人」(の存在の仕方)は、誤りです。ゆがんだ認知です。しかし、自分軸で生きるには、バラバラな個人、という考えを「いったん」受容し、そのプラス面とマイナス面とに、しっかりと目を向けること、熟考が求められます。選択の際に、「私」はどうしたいのか、を、私の内側で考える、感じる、振り返ることを、トレーニングしましょう。習慣にしましょう。

その支援を、IPPのセラピーでは、行っています。

さて、人は、他人との関係の中で生かされ、生きています。「関係性」は生きる基盤です。IPPの推奨する関係性は、世間的関係とは異なります。「もっとパーソナルで、もっと親密で、もっと意識的で、責任や当事者意識、コミットメント」のある関係です。その関係を、あなたが、あなたらしさ、豊かさ、幸福、健康を生きる基盤と考えます。IPPは、その関係性の育成を、支援します。

世間から自由になるには、世間的関係をバラバラにする必要があります。が、それは病的で、バラバラになった個人は、
不全感、虚しさ、不安にさいなまれることになります。個=独りで生きる、という生き方に、無理があるからです。それは、妄念です。

個を大事にし、そして関係を大切にするのが、「パーソナルで、親密で、意識的で、責任や当事者意識、コミットメント」のある関係です。個と関係とは矛盾していて、その両方を尊(たっと)ぶことはできない、と考えるのが世間です。

「責任」は英語で “responsibility” です。responsibilityは、“response”(応答/返答) + “ability”(能力)です。責任は、自分と相手との “call & response”(コール&レスポンス)を意味します。コール&レスポンス(呼びかけ&応答)は、あなた(「個人」)と私(「個人」)との、「もっとパーソナルで、もっと親密で、もっと意識的で、当事者意識、コミットメント」のある関係を築きます。

発達心理学および精神分析専門家のダニエル・スターンは、その関係を、「自分の署名の入った」関係といいます。世間での関係が「匿名的」であるのに対し、パーソナルそして(個人と個人とからなる)インターパーソナルな関係は、「署名入り」です。

あなたは、署名入りのパーソナルで親密な関係に、興味がありますか?
当事者意識をもった個人たちからなる意識的な関係については、どうですか?

あなたに、自分らしさと、自分らしさを生きることの可能な関係性にご関心があれば、IPPのセラピーは、お勧めです。