(文責:岸原 麻衣)
何でもできる。
完全無欠。
十全十美。
非の打ち所がない。
そんな完璧な存在でありたいと思ったこと、ありませんか?
完璧は幻想です。完璧とは、生物としては不自然で、不可能な状態です。完璧な存在なんて、この世界にはありません。
そうと分かっていても、ふと気づくと「完璧でありたい」「完璧でいなきゃいけない」と思っていること、ないでしょうか?
その根底にはいくつかのパターンがあると思います。
(1)他人軸の承認欲求による「完璧でありたい」
- 自分の存在感を世界に示すために
- 人から認められるために
- 有名になって賞賛されるために
- 同僚や顧客から一目置かれるために
- 誰かから褒められるために
ここに挙げたのは、よくある他人軸の承認欲求です。「誰かから認められたい」は、心が発達する過程で自然に出てくるものです。
一方で、自分軸の承認欲求というものもあります。たとえば、
- 自分で目標を決めて達成したい
- 学びを得て自分自身が成長したい
- 自分が重要だと思う何かに貢献したい
- 自分が正しいと思う道を貫きたい
- 努力を認めて自分を褒めてあげたい
などです。自分が満足できる自分でいたい、他人が何と言おうが自分の評価は自分で決める、というのが基本姿勢です。
他人からの承認を求める背景には、世間にがんじがらめにされてしまった心があります。いつも他人の目を気にして、自分で自分を見つめることはできません。
他人軸を手放し、自分軸の承認欲求が出てくるようになると、不思議と「完璧でありたい」という欲求は弱まっていきます。
(2)過去の傷つきによる「完璧でありたい」
- あの時みたいに失敗したくない
- 人に弱みを握られたら終わりだ
- 完璧じゃないと恥ずかしい
このように感じる心の背景には、ありのままの自分を認めてもらえなかった傷つきが潜んでいます。
その体験は、思い出すこともできないくらい昔の出来事かもしれません。あるいは、日常的に小さく傷つけられ続けた結果、心が麻痺して、傷ついているという認識すらなくなっている状態かもしれません。
どのような場合であっても、その傷が放置されていることには変わりません。傷つきに目を向け、適切な手当てをしてあげることが重要です。
(3)愛着の問題による「完璧でありたい」
- 完璧でないと愛してもらえない
- 失敗したら0点だ
- こんなミスをする自分には価値がない
- 人から指摘されるくらいなら死んだ方がマシだ
このように感じる心の背景には、対人関係の基盤(=愛着、アタッチメント)がうまく構築されてこなかった可能性があります。それなりに生きてはきたけれど、人生が空虚だと感じたり、何をしても心の穴が埋まらなかったり、自分は欠陥だらけの無能な人間だと思っていたりします。
愛着(アタッチメント)とは…
乳幼児が特定の養育者(母親や父親など)との間に形成する、情緒的な絆のことです。この絆は、子どもが安全を感じ、安心感を得るために重要です。心理学者ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)によって提唱されました。
あなたの根っこは?
さて、あなたの「完璧でありたい」は、どこに根っこを持つものでしょうか?
もしかすると、いろいろな欲求や傷つきや問題が、複雑に関係しているかもしれません。セッションでは、その絡み合ったルーツを紐解くお手伝いをします。
完璧を目指したい欲求は、簡単には消えません。完璧を目指す人の努力は、並々ならぬものです。落ち度がないように、慎重に慎重を重ねて、完璧な状態が保たれているかを常に点検します。
一点でも何か欠けていようものなら、それは「努力不足」や「甘え」にしか見えません。根性論のようなその刃は、他者にも自分にも容赦なく向かいます。「不完全ならば無価値」だと本気で思っています。
ただ、冒頭にも書いたように、完璧は幻想です。そんな生物は存在しないのです。ですから、あなたが「完璧でありたい」と思った時には、一瞬立ち止まって「それはなぜ?」と問いかけてみてください。
意識下にある根っこを探索していくのは、大変な作業です。進めていくと、どこかで身動きが取れなくなる部分が出てくるかもしれません。その時にはぜひ、専門家の力を借りてみてください。
誰にも頼らず “完璧に” やり遂げようとする自分に気づいたら、そこが大事な局面です。
ぜひ一緒に取り組みましょう。