「期待」と「心配」という呪いの言葉

「期待しているわよ」
「君ならできる、期待しているぞ」
「心配よ」
「本当に大丈夫なのか、心配だな」

「期待」と「心配」は、子どもが苦しむ代表的《呪いの言葉》です。母親、父親、先生、上司が、ボソッとつぶいたり、吐き出すように言ったり、攻撃的に使ったりする、子どもの主体性を踏みにじる言葉の代表格です。子どもが勇気をふりしぼって、「そんなふうに言われるのは嫌だ、傷つく」と伝えると、言った側は、「悪気はないの、あなたのためによかれと思って、言っただけ」と軽く、聞き流そうとします。が、言われた子どもの心には、大きな負担やダメージが残ったり、トラウマを負うことになったりしかねません。

母親、父親、先生、上司は、「期待」や「心配」の言葉を、自分勝手に使います。主体性の弱いあるいは確立されていない子どもは、そうした言葉を文字通り(literal)に、受け取り、その期待に応えようとします。ガンバって、心配をかけないようにします。期待に沿えないと、ガッカリさせた自分を責めたり、恥じたりします。子どもは、期待や心配に「催眠」をかけられ、「洗脳」されていきます。「期待」はかなえなければならない、「心配」はかけてはならない《呪いの言葉》《黒魔術的言葉》になっていきます。

次に、他人の期待に振り回されなくなった心の「詩」を載せます。ゲシュタルト療法の創始者F.パールズの「ゲシュタルトの祈り」です。

私は、私の人生を生きる。あなたは、あなたの人生を生きる。
私は、あなたの期待をかなえるために、この世界にいるのではない。
あなたは、私の期待をかなえるために、この世界にいるのではない。
私は私。あなたはあなた。
私とあなたが、縁あって出会ったなら、とても素晴らしい。
しかし、出会えなかったとしても、私とあなたに、どうすることも
できない(が、それは、それとして受け入れよう)。
(Frederick S. Perls, 1969, 富士見ユキオ訳)

ゲシュタルト療法は、健康な主体性や自我の確立を支援する、良質はセラピーの1つです。「ゲシュタルトの祈り」は、「期待」をキーワードとした詩です。他人の期待にふりまわされる、ブレる、呑み込まれることのない主体について、謳(うた)っています。その主体は、「自分軸」のある主体です。

今日の発達心理学は、低次元から順に(a)自己中心的/自己愛障害的段階(b)自分たち中心的/自文化中心的段階(c)自分たちとあなたたちとの両方を、中心とできる段階=自分軸の確立した段階(d)へと続きます。
(注:(d)は、ここでの議論に関係がないので、書きません)

(a)は「俺が俺が」の自己中心的段階です。心が成長すると、心は自己中心性を超えて、(b)の自分たち中心的段階に達します。ここでは、心は自分たちの文化(共同体やグループ)に忠実になり、人は「善良な市民」になります。あなたは、世間に従順な人で、世間体(せけんてい)を気にします。善良な人ですが、主体性がなく、人に後ろ指をさされないように、陰口を叩かれないように、キョロキョロし、『心配』が絶えません。自分軸がなく、他人軸で生きているからです。

(c)の段階まで、心が成長すると、あなたは自分たちの文化に、こだわらなくなります。「自分軸」を中心に、自分たちの、そしてあなたたちの文化(共同体やグループ)の両方に、心を開き、尊(たっと)ぶことができるようになります。この段階では、健康な主体性や自我が確立しています。パールズが、「ゲシュタルトの祈り」を書いた境地です。

自分軸がなく、心に劣等感、敗北感、屈辱感を抱き、恨(うら)みつらみ(=ルサンチマン)にまみれている親は、子どもが、自分の人生の「復讐(ふくしゅう)」をしてくれることを、強く望みます。それが、親の子どもへの『期待』となります。子どもは、親の『理想』を生きなければなりません。それは、子どもにとって、大変なプレッシャーです。にもかかわらず、劣等間、敗北感、屈辱感を解決していない親の期待や理想を、子どもは、(親に代わって)かなえなければならない、「大逆転をしなければならない」と妄信しています。親の催眠、洗脳状態にどっぷりと、浸かっているからです。

「私は、お母さんの期待をかなえるために、この世界に生まれてきたのではないし、この世界にいるのでもない。お母さんも、私の期待をかなえるために、この世界にいるのではない。私は私。お母さんはお母さん」などと、いうことはできません。

そうした親の心は、(a)の自己中心的段階、または(b)の世間中心的段階にいて、自分軸がありません。あなたが、あなた軸(=自分軸)を持つことを、良しとしません。あなたは、親の期待や理想をかなえる「手足」でなければ、ならないのですから。あなたも、「他人軸(=親軸)」で、生きなければなりません。

こうした親の心は、「隠れ自己愛」状態にあります。

隠れ自己愛とは…
一見、自己愛的、自己中心的、利己的にみえないながらも、面の皮が薄く、傷つきやすく、ビクビク、ドキドキしているのに、自己愛的、自己中心的なパーソナリティです。人を傷つけないように、嫌われないようにと気を使っているのに、相手の顔色を見て空気を読んでいるのに、利己的で、共感力が乏しい。日本に大変多く、たくさんの人が苦しんでいるパーソナリティ障害です。

詳しくは 隠れ自己愛とは? をご参照ください。

IPPでは、あなたの心に自分軸を確立すること、あなたが、他人の期待や心配から自由になるセラピーを行っています。