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『さみしさ』のシンフォニー(交響曲)~セラピーの核心に迫る取り組み~|2024/3/31(日)

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◎ 配布資料+音声データをご購入いただけます

1)今月のテーマは、「さみしさ」です。さみしさは、人間の生存や尊厳にかかわる、大切な情緒です。

今回、その「さみしさ」を正面から取り上げます。セラピーやカウンセリングの「核心」的テーマだからです。さみしさの多面性や多次元性に着目し、さみしさの中に多様性を感知して、聞き分ける耳を養います。すると「さみしさ」は、まるでシンフォニー(交響曲)のように、分厚く豊かな音を奏で、私たちを癒し、育んでくれるものとなるでしょう。

2)

  • 「さみしくて、つらい、苦しい、悲しい」
  • 「さみしいのは、いやだ」
  • 「さみしい、なんて、そんな恥ずかしいこと言えない」
  • 「さみしい、なんて聞かされる人は迷惑なはずだ」
  • 「さみしいと、無価値感でいっぱいになる」
  • 「見捨てられた気持ちになって、さみしい」
  • 「居場所がない、さみしい」
  • 「さみしいけど、甘えられない」
  • 「さみしすぎて、死にたくなる」
  • 「ひとりぼっちで、さみしい」
  • 「でも、誰にもさみしい、と言えない」
  • 「『さみしいね』と共感してくれる人がほしい」

セラピーの場面では、そうした声、訴え、叫びを、よく耳にします。

あなたにとって、「さみしさ」とは、どのようなものでしょう?
あなたはさみしいときに、どうしていますか?

3)さみしさには、5つのタイプがあります。

1つは、ホモサピエンスという種として必須のもの。
2つは、社会的なもの。
3つは、親密な関係におけるもの。
4つは、自分との関係によるもの。
5つは、内面における元型的なもの。

4)その5つが無意識裡に絡みあったり、融合しあったりすると、よりいっそう私たちを苦しめます。セミナーでは、絡みあったさみしさを紐解き、融合したさみしさを選り分け、それぞれ異なるさみしさを、あるがまま聞き分けることから始めます。

そして、さみしさとの具体的取り組みや、関わり方を見ていきます。

さみしさに傾聴し、そのマイナス面だけでなく、プラス面にも着目します。

あなたは、さみしさという情緒に取り組み、聴き入ることで、良質なシンフォニーを聴いたときのように、その豊かな色合い、濃淡、陰影に深く感動することでしょう。また、すぐれた音楽がそうであるように、その深みはあなたを癒してくれることでしょう。

5)摂食障害、買い物依存、アルコールやギャンブル依存、セックスやポルノ、マスターベーション依存、恋愛依存、腐れ縁、共依存・・・などの背景には、「必ず」さみしさがあります。さみしさを見ないようにするために、ごまかすために、依存症や共依存関係にハマります。

そうすることで、さみしさを切り離し、見ない、聞かないことにできるから。

もし、さみしさの声や叫びが聞こえてきたら、痛くてつらくて、耐えられない。圧倒され、混乱し、動揺しかねない。そもそもさみしさを、どう扱ったらいいかわからない。

だから、さみしさを拒絶し、「解離」します。

脊髄反射して、さみしさから逃避します。

さみしさを、遠ざけます。

忘れるために、娯楽に耽溺します。

あなたが、摂食障害や各種依存症、腐れ縁や共依存との取り組みに関心があるとすれば、「さみしさ」への着目は必須です。今回のセミナーで、ご一緒に学びましょう。

6)そもそも私たち人類、ホモサピエンスという種は、身体的に脆弱で、他の生き物との生存競争の中で、集団で協力していくことのできるものが、生き延び、子孫を残してきました。集団から離れることは、死の脅威、種の存続の脅威を意味しました。

それは脳の奥深くに刻印され、今も警告を発します。つまり「さみしさ」とは、集団から離れることの危険を知らせる、一緒の「警報機」なのです。サバイブ(生存)のために、集団に戻りなさい、という知らせ、それがさみしさの感覚です。

7)が、現代では、集団に積極的に属さなくても生き延びることは可能です。また、どの集団に属すかを自分で自由に選択できます。これは、さみしさとのつきあいのヒントになります。

8)さて、警報機としてのさみしさは、生存にプラスに働く一方で、さみしさが発動すると、それを「自分は集団からのけ者にされている、嫌われている」「自分の居場所はない」などと、マイナスに受け取ることがあります。そこには、「主観的」解釈が絡んでいます。そう受け取るのは、さみしさに「トラウマ(傷つき)」が関係しているからです。

9)この場合のトラウマには、社会的集団における「制裁」がからんでいたりします。制裁とは、集団(の秩序)を維持するための、たとえば「村八分」や「スケープゴーティング」などです。

そこには、「お前はこの社会に必要ない」「価値がない」といったメッセージが含まれているため、社会的さみしさには、多くの場合、自己無価値感、無能感、恥辱感が伴います。

また、社会的さみしさは、サピエンスという種に不可欠な生存をおびやかす「さみしさ」と「混同」されたり
「誤解」されたりしやすく、「ヤバイ、自分は生きていけない」という思いを喚起します。だから、死の苦しみや激痛を伴います。

10)親密な関係でのさみしさは、母子関係をベースとして生まれます。これは、母との関係で、「甘えられない」「見てもらえない」「見捨てられる」「気持ちに寄り添ってもらえない」「適切な情緒的応答をしてくれない」といった気持ちと、関係しています。

そのさみしさを何とかするために、やり過ごすために、ごまかすために、良い子になったり、表面上明るくふるったり、学業やスポーツに励んだりします。

それは、過剰適応です。母親の顔色、機嫌を気にしながらの。

11)その企ては、必ず失敗します。なぜなら、過剰適応がうまくいっても、お母さんが見てくれるのは「良い子」(=「偽りの自分」)だけで、「(内側の)さみしい子」は、決して見てもらえないからです。さみしい子は「見て見て!」と心の中で叫んでいるのに、その声を聞いてもらえないままでいます。

12) 4つめの自分との関係のさみしさは、さみしさとの取り組みの「要点」です!

セミナーで詳しく、ていねいに、たっぷりと学びますので、楽しみにしていてください。

13)もう1つ忘れてならないのが、ユング派の「元型的さみしさ」です。

その一例は、ギリシャ神話のナルキッソスに恋をしたものの、決して気づいても、振り向いてももらえなかったニンフ(妖精)、エコーのさみしさです。おしゃべりなエコーは、罰として自ら話す言葉を失われたため、こだまのように相手の言葉を返すことしかできません。

一方、エコーが恋したナルキッソスは、水面に映った自分の姿にうっとりするという、自己愛障害の象徴的存在です。エコーのこだまは、自己愛のナルキッソスの鈍感な耳には、決して届くことがありませんでした。

14)さみしさの背景には、「自己愛のテーマ」が、絡んでいることがよくあります。自己愛的な人は、相手のだけでなく、「自分」のさみしさが聞こえません。「鈍感でがさつな耳」しかなく、さみしさシンフォニーの豊かさや分厚さが、わかりません。

15)シンフォニーの陰影や深みに聞き入るには、「耳のありよう」に、着目する必要があります。セミナーでは、M. エンデ作『モモ』や井筒俊彦氏を参考に、「内的な耳」「スピリチュアルな耳」について取り上げます。それは、元型的さみしさを聞き取る耳です。

16)「さみしい」は、「寂しい」「淋しい」と書きます。

「侘(わ)び、寂(さ)び」は、さみしさを茶道的、仏教的に磨き上げ、昇華させた美意識、心的境地です。ユング派で精神分析にも長けたアンソニー・ストーは、さみしさの積極的意味について述べています。侘びや寂び、A. ストーを参考に、さみしさの肯定面や、さみしさが人格の成熟を促す点についても見ていきます。

17)さて、さみしさとの取り組みには、どういったものがあるでしょうか?

さみしさに「健康なもの」と「健康でないもの」があることを知り、それを「分ける」ことから始めます。「健康でない」さみしさには、トラウマが伴いますので、さみしさにまつわるトラウマとの取り組みが求められます。

18)さみしさが「健康なもの」であっても、心が未成熟なままだと、それを引き受け、取り扱うことは苦痛で、困難です。心の成長や成熟も欠かせません。

19)マイナスのさみしさは、未成熟な心の「受け身」の姿勢から浮上するケースが、ほとんどです。そこには、「見て見て!」「話を聞いてほしい」「理解してほしい」「甘えたい」といった思いがかなわなかったことで生じる傷つき、凍りつき、未練やうらみ、つらみ、悔しさなどが、関係しています。

そこには、「関係療法」を通じたかかわりが不可欠です。

セミナーで、詳しくお伝えします。

20)今回「さみしさ」のシンフォニー(交響曲)~セラピーの核心に迫る取り組み~にご関心のあるセラピスト、カウンセラー、コーチ、ケースワーカー、医師、保健師、ボディワーカー、コンサルタント、ファミリービジネスの専門家の方、そして一般の方、初心者の方のご参加をお待ちしています。

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日時■ 2024年3月31日(日)10:00~17:00

会場■ zoomオンライン会議(お申込みいただいた方に詳細をお伝えします)

費用■ メールマガジンにてご案内しております。

講師■ 富士見ユキオ・岸原千雅子