健康なスピリチュアリティ

健康なスピリチュアリティとは?

IPPは、「健康なスピリチュアリティ」育成を支援しています。「健康なスピリチュアリティ」は「健康な自我境界」に宿る、と考えます。仏教に、「迷いがなくなった心の境地」を表す言葉「諦念」があります。「諦め」の語源は「明らむ」で、それは「明らかにする」を意味します。何を明らかにするのでしょうか?「できることと、できないこととを」です。1つは「人間」として、2つは「文脈/状況」の中で、3つは「自分」として、「できること、できないこと」を明らかにすること。それを今の心(=念)で実現すること、それが「諦念」です。心の「限界/境界」をハッキリとさせることです。

自分は、また人間は、万能ではない。自分に無限の能力はない。いつまでも生きているわけではない。

限界の事実を受け入れるには、心に痛み、苦しみが伴います。が、そうしてこそ、「諦念」が可能になります。それには、等身大の「健康な自我」が必要です。健康な自我には、メラーニー・クラインが提唱した、「抑うつポジション(depressive position)」の経験を必要とします。それは抑うつ的ですが、全体的な心の視座です。心の全体は、光と闇や陰/影とからなります。すると、心を無邪気に「陽」と見てはしゃぐのは一面的で、誤りであることがわかります。抑うつポジションは、心が、陽/光だけでなく、闇や陰/影からもできていることを、あがまま見る誠実な心の立ち位置です。抑うつポジションを経験すると、「喜」や「楽」だけでなく、「喜」「怒」「哀」「楽」の全てを肯定する感性が育成されます。「哀」や「悲」に心が開かれます。「ペーソス(悲哀、泣き笑い)」を体験させます。

人生は苦である

仏陀は、「人生は苦(Life is suffering)」だと述べました。人生の苦や(チャールズ・チャップリンの映画のような)悲笑劇をあるがまま見るのが、抑うつポジションであり、諦念です。

仏陀は、若いころ王子として父親の宮殿的世界で、「喜」や「楽」いっぱいの華やかな生活を送っていました。ある日、御者のチャンナに伴われて、宮殿を後にします。すると、病人、老い、死人を目にすることになります。それまで、彼は、陽/光だけの一面的な特権的世界に暮らしていました。しかし、宮殿の外に、陰/闇を含んだ人間の一生のあることを、あるがまま見たのです。人生が、想定外/偶然性を内包した悲劇、理不尽さ、不条理、コントロール外の運からなることを、直視したのです。

IPPでは、「できることと、できないこととを」受け入れる強靭な自我の育成を支援します。「強靭」とは、「強くて粘りのあること」「しなやかで強いこと」を意味します。「限界/境界」のある自我は、身が詰まっていて、安定し、信頼できます。他者の「限界」、個性、尊厳、人権を尊重します。私たちは、そんな成熟した自我育成を支援します。

成熟した健康な自我を創ろうとするときには、ていねいにじっくりと自分と向き合う時間が必要です。
心理療法はその助けになります。IPPのサポートを、ぜひ活用してください。

成熟した自我と境界

成熟した自我は、他人との「境界」だけでなく、自分を超えたスピリチュアリティとの「境界」を大切にします。自分が、スピリチュアルな存在のように、万能、無限、完璧になることは決してない、ということをわきまえた自我です。「限界」をベースに、人知を超えたスピリチュアリティ、不可思議、神秘、奇跡、想定外、偶然性に開かれています。

それには、「自我の健康さ」が不可欠です。

そのうえで、古今東西の神秘主義、シャーマニズム、錬金術、ディヴィネーションを敬います。
これまでにIPPで開催した連続講座やセミナーも参考にしてください。

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